初・大崎作品。
オーストリアを流れるドナウ河で邦人男女の水死体が上がる。
現地警察は自殺と断定し、それが小さな記事として日本の新聞に載る。
それを読んだ筆者・大崎氏は何か感じるものがあり、この事件の真相を
知るため動き出す。
亡くなったのは19歳のルーマニアに留学中の女性と33歳の自称・指揮者の男性。
意外にも自分の周りに接点があることを知り、そのつてを辿り国内で、
また現地にも赴き、取材を重ねて完成した作品。
適度な分量で読みやすい文章なので一気に読んでしまいました。
でも読後感はよろしくないです、正直なところ。
読み始めた直後から、なんとなく筆者が持っていきたい方向性みたいな
ものが見えていたのですが、最後やはりそうきたか・・・という感じ。
19歳の女性は、日本人の父とルーマニア人の母のもとに生まれ容姿端麗、
性格も明るく友人も多い。
家庭もかなり裕福で、ルーマニアには両親の勧めで留学することになる。
ただ家庭内には父親の女性問題、母親の激情的な性質などもあって、
たくさんの愛情に包まれながらも、一面不信感や不満、そして孤独感も
かかえていたよう。
33歳の男性は、この本を読む限りどうみても病的な妄想癖や虚言癖を持つ奇人で
迷惑を被った方がたくさんいたらしい。
家庭が裕福だったので、日本には置いておきたくないと家族が生活費を出して
あえて海外に出していたようだとある。
ただこの男性について取材したものが極端に少ないので、不明な部分は多々ある。
出会って2日目にふたりは同棲生活を始めてしまう。
周りの人の証言によると、彼女は男性の影響で人が変わったようになり
学校にもいかなくなってしまう。
まるでカルト信者のようだったということだ。
結果的に彼らはルーマニアからオーストラリアに移動し
教会や病院などを利用しながら、ドナウ河に身を投げることになる。
取材により、彼らのある時期の言動は把握できたものの
死を選んだ理由はやはり明らかにならないままです。
筆者は彼らが死を選んだ理由を、周りに理解されることのない男性への
無償の愛、自己犠牲だったのでは、と想像していたけど。
でも私にはそうは思えないなあ・・・どちらかというと疲弊感じゃないかと
思うな・・・ただそれは、本当に本人たち以外の誰にもわからないこと。
その本人たちだってもしかしたらもう最後はわかっていなかったかもしれない。
だからこそ、安易に彼女の心情をわかったように推定して、長々と書く必要は
なかったと思う。
こんな型にはめてしまうのは、かなり浅薄な気がする。
もし筆者の思うように自己犠牲だとか無償の愛と結論づけたかったのならば
これはノン・フィクションではなく、小説にしたほうがずっと良かったと思う。
ノン・フィクション、ルポタージュも好きで読むけど、それは
第三者的な視線で冷静に書かれているから。
そしてよくできた作品は感情的な言葉など一切入れなくても
人を感動させるものだと思う。
淡々と書かれた文章に何度も涙したことがある。
この作品は「若い女性・異国の地・心中・相手が精神的に問題有り」
などなどのイメージが筆者の中で短絡的に先行しているような印象が残る。
海外での彼女が感じていた孤独や閉塞感は私なり理解はできる。
好きで行った国においてさえ、クリスマスの誰もいない時期は本当に辛かった。
こういう依存的な関係は異国の地ではかなりの頻度で生まれるものだと思う。
だから彼女が、自分から特に望んだわけでもない遠い国で
近くにいる、癒しになりうる人にのめりこんでいくのもわかるような気がする。
19歳という若さだけを理由に、この関係が純粋な想いのみで成立していたと
結論づけてしまうのはどうかな。
何よりも、こんな形で発表されることをご家族は想像していただろうか?
家庭内のごたごたを実名で出版されて、それでもそれが娘さんへの
レクイエムになると思えるような御家族なら問題ないけれど、
私だったら心底辛いですねえ。
子供を亡くした辛さに、さらにもう一つ苦しみが加わってしまいそう。
たとえばこの事件をモチーフに、彼女を主人公として描く創作であるならば、
彼女の生きてきた証の一部として受け入れられる可能性もあるだろうし、
それならば純愛だとか、無償の愛だとか筆者の好きなように結論づけても
構わないと思う。
私が、これは小説にすればよかったのにと思う理由の一つでもある。
今回はちょっと手厳しくてスミマセン。
でも私にはかなり書き手に対して不快感が残ったのは事実です。
が、事件そのもの、特に彼女の人生を否定するものではありません。
気持ちはすごくわかる、私なりに・・・ですが。
ドナウよ、静かに流れよ (文春文庫)/文藝春秋

¥637
Amazon.co.jp