先週末に見たDVDです。
ロボット三原則でお馴染み(でもないか?)アイザック・アシモフ氏の
「Bicentennial Man」を原作としたものだそうで、これまた予備知識なしで
見ましたが、なかなか良かった。
お手伝いさんロボット・アンドリューは良きご主人に恵まれたことで
創造的な面での才能を伸ばしていく。
もしかしたら、あのヤンキーな長女に窓から「飛び降りろ!」と言われ、
それに従ったことで、回路がおかしくなったのでは?なんて私は
思ったりもしていますが・・・。
ロボットが感情を持ってしまうというお話はSF業界ではよくあることだけど、
その多くの場合企てるのが、人間を破滅させることだったり、
宇宙征服だったりする。
でもアンドリューは、ロボットの(ほぼ)永遠の命を捨てて
限りある生命を持つ人間になることを希望するようになる。
それはロボットにはないはずの「感情」と、その感情を手向ける相手を
手に入れてしまったからなんだけど。
さて、このアンドリューのBicentennial(200年間にわたる)物語の結末は??
PCや携帯であっても、使い手の個性によってかなり使い勝手に違いが出たり
クセが出てくることがあるのだから、お手伝いさんロボットとして
ご主人様の要望にはとにかく出来うる限り応えることを使命として
作られた人工知能なら、もしかしたらこれに近いことは起こりうるかも、
な~んて私は思ってます。
持ったことがないからわからないけど、アイボくんなどもやはりご主人様の
趣味嗜好や生活様式にそれなりに染まってくれるからこそ、
その人にとっての唯一無二のアイボくんとして存在することになるのでしょうし(違う?)。
人間の中には永遠の生命を求める人もいるけど、ロボットが持っている
その(ほぼ)永遠の命を捨ててしまうってことはどういうことでしょう?
やはり人生への満足度の違いなのかな~??などと思っていますが、
とにかく、単に誰かへの「愛」ゆえだけではないような気がします。
実は数週間前に、自分が余命○ヶ月であるという宣告を受ける夢を見て
目が覚めてからもしばしメソメソしてしまったのですが
その理由を考えてみると、私は死ぬこと自体は怖くはないんだけど
残していく人たちについて、まだ責任を果たしていないな~と
いうことにあるような気がする。
つまりまだ達成していないものがあるゆえかな、な~んて思っていたところ
なので余計そう感じたのかも。
子供の頃から本でも映画でもSF作品は、大量にではないけれども
コンスタントに観たり、読んだりしてきたわりに、いつまでたっても
私のイメージとしてのSFは「スペックを描いたもの」なんですよね。
なのになぜか一般的な文学よりもはるかに感動したり尾を引いたりするものでも
あるのですね。
特に人間の感情描写はほとんどなくて、もっと理論的な部分を描いたハードなSFほど
人間とは何か?生きるとは何か?なんてことをいつまでも考えさせられるのが
とても不思議ではありますが、私にとってのSFの魅力だとも思っています。
そう言う意味ではこの映画は過剰に描きすぎという気もしますが
わかりやすいといえばわかりやすい。
原作、ぜひ読んでみたいですね。
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