「海辺の光景」  安岡章太郎 | MARIA MANIATICA

MARIA MANIATICA

ASI ES LA VIDA.

昔むかし買った旺文社文庫を再読。

安岡章太郎の自伝的な作品だそうです。
家族・親子関係、介護など普遍的な問題が描かれていますが、
何かこう、いまどきの文学とは一線を画したというか、
小説・文学としてのあり方、取組みが全く別物という気がしました。
こういうタイプは久しぶりに読んだように思います。

自分を溺愛する母親から、父の悪口をさんざんふきこまれてきた。
なんとなくその感情を自分にも転移させて、父親に嫌悪感を持つ。
その嫌悪を表す、父親の描写がうまいのですね。
のど仏に生えたひげとか・・・。

それでも表立って父に反抗することもなく、でも母親にものすごく
従順というわけでもなく、なんとなく、ぼんやりと・・・
自分の内心にあるものとは裏腹に行動をしている。
住む家を追い立てられるときも、いつも第三者のような立場で
両親のやり取り、常軌を逸した行動を長めているような感じ。
溺愛されていた母親を特別扱いすることもないように見える。

両親が故郷の四国に帰ったあとも何年も会うこともせず、
痴呆の症状が現れた母を精神病院に入れるときに数年ぶりに帰宅したのみ。
そして、作品では、その入院中の母がいよいよ危篤となったことで
帰郷した主人公が過ごす、最後の母との9日間が描かれています。

冷たい人間、愛情が薄い人間だから・・・という印象でもない。
ただただ、受身というか、何か積極的に行動することが苦手な人のよう。
気の強い母の言いつけもいい大人になってからも、咎めることもなく
言いなりになっている。そしてそんな自分を後ろめたく思っている。

久しぶりに病院に行き、看護人から「母親に言葉をかけ」るように
言われても、適当な言葉が全く出ないことに狼狽し、
また担当医から母親の年齢を聞かれても答えられず、
そのことについてもまた、ものすごく狼狽する。
いつも能動的でない行動をしては、そんなことを繰り返している。
時代的にも、環境的にもそうならざるを得なかったような気もしますが
自己表現が特別に苦手というか・・・自意識過剰なのかもしれないな、
そうすると主人公の行動もなんとなくわかるような気がする。

ぞじて長いこと不仲だった両親のはずなのに、意識のない母の口から
最後に出てきたのは「おとうさん」という一言だった。
全体的にやるせないというか、出口のない思いが漂っていました。
母の死後、外に出て眺めた海辺の風景がとても印象的。
この主人公が家族から良くも悪くも解放されたように思えました。

他に評論が7編。「文体について」が面白かった。


旺文社文庫はもう絶版らしい。
中高時代には一番読んでいた文庫なので、ちょっと残念。


海辺の光景 (新潮文庫)/新潮社

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