相変わらず文章うまいなあ、と思います。
だけど、正直今まで読んだ村上作品の中ではイマイチ。
あ、あくまでも私には・・・ですけど。
読んでいて、本当に行きたい所に行ったんだろうか?という
疑問でいっぱいだった。
ここに出てくるその土地へのネガティブな感情は、きっと
多くの旅行者が・・・といってもかなりの辺境なので、
旅行者などほとんどいないとは思うけど・・・持つもの
だろうとは思います。
でも私は、行きたくて行った場所であるならば、これだけの
不平不満を書く気持ちになるかなと思ってしまう。
これは、私がラテンアメリカに対して持っていた気持ち
そのものなのです。
「あんなところだけど、今になってみればよかったな~」と
たとえばパラグアイに対して思えたのは、パナマに住んで
長男を産んでからだし、パナマに対しては、観光地は別として
居住していた街については未だに行ってみたいという気持ちにも
ならない。
だから私なりにこんな風に言いたくなる気持ちがわかるような
気がするだけに、読んでいてなんとも不愉快な気分になって
しまうのでした。
それは別に、その国民に対して失礼だ!とかそういう単純な
ことではないのです。
でもこの感覚は、なかなか理解して頂けないかもしれないけど。
ここまで不愉快な印象を文章にしなくても良かったのでは?
(書いているほど嫌ではないと文中にもあるし、想像以上に
ハードな旅だったのは確かだと思うけど。)
行って見なければわからないことはもちろんあります。
でも通常、行きたくて行った国であれば不愉快な思いの多くは
肯定的に受け取れたりするものじゃないかな。
出された食べ物の量が多いとか甘すぎる、ということでそれを
残したという部分があったけれど、私はそういうことをとても
お行儀の悪いことだと思っているので・・・すみません・・
それも良い印象を残さなかったのかもしれないです。
いずれにせよ「予め」備えておくことが、ある程度までは
十分可能なはずなのに、なぜ村上春樹ほどの(?)旅好きが
「思っても見なかったこと」だらけなのか、私はとても
不思議だったかな。
何度も書いていらしたけど、宗教には興味が無いので、
と言うのも何か違和感。
アトスがどのような性質の場所かを考えたら「興味が無い」では
済まないように思うけど、どうかなあ。
どうしても取材したくて行った、というよりも、ここまで来たなら
取材しておくかな、という印象で、本当に疲れ果てて書きました~!
という感じを受けてしまっても仕方ない気がしますが・・・。
もし紀行文ではなく、同行したカメラマンとか編集者との
対談だったら面白かったかな?
でもネガティブな話題は、必要以上に話が盛り上がり、
良くない方向に膨らむようなのでやっぱりだめかな・・・。
村上春樹が作品中で(特にトルコで)イライラしていたように
私もちょっとこれを読みながらイライラしてしまいました。
ご不快に思われたら申し訳ありません。
ただ村上春樹が日記をノートに書いているシーンでは、
私もこれからはブログじゃなくて手書きをしてみようかな
などと思ったりもしました。今更手書きという作業は大変だけど。
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