「エッグ・スタンド」   萩尾望都 | MARIA MANIATICA

MARIA MANIATICA

ASI ES LA VIDA.

萩尾先生が戦争を描くことも、また救いのないお話を描くことも、
いずれも珍しいことです。
読むたびに答えを考えて考えて考えて、考えるだけで終わってしまう、
なかなかにヘビーな作品でもあります。

第2次大戦中のナチスドイツ占領下の冬のフランスが舞台。
ごちゃごちゃと建物が立ち並ぶ街の様子や、それを天窓から見たときの様子、
そしてそれらが雪を抱いているさまを描いた近景・遠景・・・
フランスの古い映画を見ているような美しい印象なのですが。。。。

ユダヤ系のドイツ人であることを隠して踊り子として働くルイーズが、
あるきっかけから、少年ラウル、そしてレジスタンスの活動家マルシャンと
暮らしはじめる。
実は少年ラウルは、ドイツの腕利きの暗殺者だった。
殺人について何一つ罪悪感も持たない・・・というか
彼なりの人並みはずれた論理はあるのだが・・・。

感情の起伏がなく、いつも淡々としていて、宙に浮いたような視線を
しているラウルが強烈です。
萩尾センセーはジャン・コクトーの作品「恐るべき子供たち」を
漫画化していますが、通じるものがあるような気がします。
どう表現したらよいのか難しいし、適切ではないのは重々承知していますが
ラウルも「恐るべき・・・」の子供たちも、まるで無垢な聖人のごとく
私には見えたりするのです。あまりにも現実離れしすぎる生なので。

「自分が生きているのか死んでいるのかわからない」というラウルですが
ルイーズとのふれあいで、初めて涙を流します。
本人はその涙の意味がわからないのだけれど、確実にその後の行動は
今までになかった、一人の人だけ(ルイーズ)のためのものでした。
感情がはじめて生まれた、というよりもラウル自身が新しく生まれたと
いえるのかも。

でも結局、ルイーズもラウルもこの戦争が終わるといわれていた
春まで生きることはできませんでした。
戦争は終わっても、彼らの人生はもうないのです。
目覚めたかに見えたラウルも、それは魂だけの目覚にすぎず
その先の人として具体的に生きる、という機会は巡ってこなかった。

ラウルが田舎にいたころに見たという、間違って茹でてしまった卵。
孵化しかけで中身が真っ黒のその卵が、彼らの失われし人生と
戦争の関係をあらわしているのかな~なんて思います。
もちろん、単純に育ちきっていないラウルのことを表しているとも
言えるのでしょうけれど。

戦争を悲しい、悲惨だと言葉で説明したり、飢えた子供や
戦火から逃げ惑う人々を描くことで表現することは、ある意味簡単です。
でもここではそんな直接的でわかりやすい表現をほとんど使うことなく、
その芯にある不条理や無常観を深く濃くあらわしているのですね。

わかりやすい方がよいのは確かだし、需要も大きいとは思いますが
私自身はやはり直接的な表現そのものが苦手だからこそ、
萩尾派なのかもしれませんね。

読むのはつらいけど、かなりの秀作だと思います。
どなたかお読みになった方のご意見をお聞かせいただければ幸いです。

同時収録

「アムール」「人生の美酒」
どちらもイラストと詩からなる短編。実はいまだにきっちり読んだことがない。
「宇宙叙事詩」の感想にも書いたけれども、萩尾先生の作品では、やはり先生が
考えつくしたせりふを、美しい登場人物に語らせてこそ、と思います。
それが私の一番好きな萩尾望都の世界なのですね。
この手のイラスト的なものは本当にほとんど読んでないな~と認識しました。
今日も結局読まず嫌い王のままです。

「天使の擬態」
生むことのできない子供を堕胎してしまった女子大生の苦しみ。
とはいえ、関西出身の短大教師とのやり取りの中で癒されていくよう。
私自身は好きとも嫌いとも思えない作品だけど、この女の子が
何も事実を知らない家族と過ごす中で感じる傷みそのものに
共感できる女性は結構いるんじゃないかと思う。

「影のない森」「10年目の毬絵」
どちらも男性誌(ビッグコミック)掲載作品だそう。
「毬絵」については、以前村上春樹作品の感想を書いたときに
ちょっと触れたことがあるけれども、苦手な萩尾作品のひとつ。
男性だったら共感して読めるんだろうか?


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