「タイムマシン」  ハーバート・ジョージ・ウェルズ | MARIA MANIATICA

MARIA MANIATICA

ASI ES LA VIDA.

昨日と同じ本です。翻訳者違いで再読・・実は間違えて2冊買ってしまったのだ。
こちらは偕成社の少年少女向けに翻訳されたものですが、子供に擦り寄るような
翻訳ではなく、でも難しい言葉については訳についても工夫が凝らされていて、
これは私のように科学的でないものにとってもまた、読みやすいように思いました。
もちろん端折りもない完訳です。

いきなり違う本の話になりますが、萩尾作品「スター・レッド」の中で
火星人がテレポートしたり、テレパシーが使えたりすることは
「退化以外の何ものでもない」と、地球人である科学者が断言するシーンが
あるのです。
テレポートできるなら歩く必要もないから足は不要、テレパシーが使えるなら
話す必要もない、何かを移動させるための手も力も必要ない・・・
ただ石のような見かけで存在していればいいだけになり、やがてそれくらいなら
存在する必要すらなくなるだろう、ということなのですね。
昨日今日と、この「タイムマシン」を読みながら、それを思い出していました。

1895年の発表から116年後の世界に今私たちは生きていて、
その当時から比べたら、科学も思想も格段に進歩しているはず・・・。
なのに、戦争も終わることなく、病気も災害も次から次へと襲い掛かってくる。

「タイムマシン」でタイムトラベラー(偕成社版では「時の旅人」とされています)が
訪れた80万年後には、知的レベルの低いものたちが一見平和に暮らしていました。
何かに対する恐れもなく、競争心や闘争心もない、去勢されたような状態なのですね。
エネルギーを奪われてしまっている姿は、まったくもって牧場にいる動物たちと
同じなのです。そのこと自体、タイムトラベラーが語っていますが、実際その未来人
たちの描写は、動物園の無害でひとなつこい動物たちと同じ反応になっています。

平和だけどただ生きているだけ・・・それはある意味幸せだけど、スターレッドで
科学者が切りつけた「存在する意味があるのか」ともいえるかと思います。
人間の努力が報われて、思いがひとつになってもしかしたら「戦争」なんてものが
この世から消えることもあるかもしれないけど・・・そのときの全体像を考えると
微妙かもしれないですね。
人間は「負」を補うべくして、生きている部分もあると思うので
その「負」となる対象がなくなったときに、人間のエネルギーは
何に、どんな形で向かっていくことになるのでしょうね?
でも多分、永遠に何かしら問題は発生して、人間は進歩し続けるのだとは
思うけど・・・いわゆる必要悪ってやつですかね。
そしてそれに加えて、神の見えざる手ってのもきっとあるんですよね、う~ん。

SF・・・なかなかに考えさせてくれます。
単に科学だ、物理だ・・・じゃなくて哲学とか心理学にまで及ぶものなんですねえ。
面白いけどコワイ。怖いけどオモシロイ・・・。

「時の旅人」は、未来から戻ってくる際に花を持ち帰ってきました。
それは、未来で恋人として一緒に過ごしていた女性がお礼としてくれたものの
残骸なのですが、少なくともそれは劣化してしまった未来の人間たちにも
ちゃんと愛情と感謝の念が残っていた証拠であると、美しく語られて終わります。
時の旅人は、どうしたかって?さあそれはご自身でご確認ください。
未来を考えるとヘビーではあるけれども、ロマンティックなお話でもありました。

タイムマシンが動き出してからある地点に着地するまでの描写は
とても生き生きとしていて、そのシーンが目に浮かぶようでした。
人間のイマジネーションと、それを描写する力によってできる文学というのは
人間ならではのもので、価値のあるものなのですね。これは失っちゃいけませんね!



この作品はこれまでに2度、映画化されているそうですが、2度目の映画化の際
監督は原作者ウェルズの孫にあたる方だったそうですよ。
まず立ち寄るのが2030年・・・あと19年したら時代考証の正誤がこの目で
私たちにも確認できますね。
なお、原作での80万年後の未来人は単純な言葉しか持たず、深く考えることも
しないのでこの映画に後々あるようにスムーズな会話は成立していません。
(なお、昨日のレビューには初代の映画の動画を追加しておきました。)





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