♪あぶな坂を越えたところに私は住んでいる・・・♪と、
みゆきさまの「あぶな坂」の歌詞で始まります。
この世とあの世の間に立つ「あぶな坂HOTEL」が舞台です。
主人公のホテルオーナーの由良さんが、中島みゆきとイメージ重なります。
状況と希望によっては、もう一度もとの世界に戻る可能性も時々ありますが・・・。
訪れる客はさまざまで、生きることに執着する人、あっさりと踏ん切りをつけた人、
それぞれのすごしてきた人生やもともとの性格などで選択、好みはさまざまです。
小さな子供たちが、すっとロビーを通り抜けて何の躊躇もなく、明るい庭(つまり天国)に
向かって行くシーンで「子供は迷いがありませんから」と、主人公・由良さんが
口にした言葉が印象的。
そうです。ここでの大人の多くが皆、家族をはじめ、生きることそのものに
まだまだ後ろ髪を惹かれています。まあそうですよねえ・・・。
他の作品では、場所だけでなく時空すら飛び越えてシーンが次々と変わっていく
多くの萩尾作品の中で、これは珍しくホテル内だけで話がほぼ完結していきます。
舞台を見ているような、そんな印象のちょっと珍しいタイプの作品でした。
「エースをねらえ」の山本鈴美香さんも教祖様になってしまいました。
「ガラスの仮面」の美内すずえさんも、劇中劇の「紅天女」内で語るのは
宗教観のように思えます。そして、萩尾先生・・・「あぶない丘の家」シリーズもそうですが
こんな境目というか死生観を描くことが多くなってきた。
行き着くところは、やはり生きることというか、生き方ということなのでしょうね。
執着せずに潔く、私はあぶな坂HOTELを通り抜けて、向こう側に行けるかな。
でも形にもよるけど、心残りになるほど執着できる人やものがあったということ、
それもまた良し、だと思うな。
ひとつわかりかねたことが・・・もし読了済みで、消化されている方がいらしたら
ご教示ください。
「雪山へ」で、戻るからだのなくなった青年は、後からやってきた老人団体にいた
子供を見て「僕ならビバークできる」といい、由良さんが「やってみますか?」と
答えますよね。
私は、彼があの子の体を借りてふもとに戻り、助けを呼んで全員を生きて帰らせるのでは、
と思ったのですが、最後彼らとともにHOTELをでていますよね?
あれはどういうことなのか?と。
全員で行ってしまったら誰かの魂がひとつだけ余ってしまう・・・。
救助がくるまでその体のない魂はそのあたりをさまよっているのでしょうか?
それともあれは明るい庭のほうに行った?
妙な疑問ですが、ご意見いただければ幸いです。
中島みゆきの1ST アルバム「私の声が聞こえますか」の第1曲目でした。
あまりにも昔の歌すぎて、歌いだしの部分しか覚えていなかったです。
投げやりというのではないけど、一本調子の歌い方なんですよね。
あえてそうしているんでしょうけれども。
強がっているけど多分感謝を伝えることのない男と、それを黙って見守る女・・・って感じ?
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