そんな人だったのです。
眼も鼻も口も大きくて、すごくかわいくて輝くようなインパクトのある人。
お嬢様育ちの、邪気も屈託もない天真爛漫な人で、
同じ年だけど、彼女が一年早く入社していたので先輩でした。
入社時期とは関係なく、皆仲良かったので、冬の週末は仕事終了後
車に分乗して一路スキー場へ!なんて時代でした。
彼女はスキーが相当うまくて・・・ああそうだ、その頃の彼女の彼だった人が
私にスキーを教えてくれたのだったな~。
帰ってくると、家には戻らず会社の近所にお姉さまと二人暮らししていた彼女の
アパートに泊めてもらって、月曜日はそこから出社なんてさせてもらってもいたんだ・・・。
最後に会ったのは21年前、私がパラグアイに行く直前だったと思う。
吉祥寺のスコータイで送別会を皆でしてくれたのでした。
同じ県内に住んでいることも聞いていたけど、一度離れると同期じゃないなんて
ことが関係あるわけでもないのに、なんとなく機会がないままになってしまってた。
いつでも会えると思っているけど、「いつでも」なんて意識して作らない限り
絶対に来ないんですよね。
2年前に余命を宣告され、この2カ月はご主人も介護休暇をとって家族全員での
看病をなさっていたそう。
献花を待つ間、生演奏のチェロを聞きながら、展示されたご家族との笑顔の写真や
映し出されるスライド見てました。やっぱりひまわりみたいでした。
弔問客を見送るご家族は全員笑顔でした。
さすが、彼女の選んだご主人と、二人の血を引く子供さんたちです。
訃報を聞いてから今日まで、私にも日常の生活があるわけで、
一切頭の中から彼女のことが消えてしまっている時間もありました。
かと思うと、運転中や買い物中に、ふと何かに呼び起こされてこみあげてきたりと
なんとなくあわただしく、不安定な日々になってしまいました。
訪れていた先輩たちの中には会社を辞めて以来、初めてお会いする方もいらして
しばし皆で泣き笑い。
「会えるときに会わないとだめだね」という意見で一致したものの、なかなか
それがままならないのも、また事実。
何度同じことがあっても、人間はすぐ忘れてまた繰り返しては後悔する。
だから、もう一度記憶を呼び覚まさせるために、いつも誰もがそのきっかけを
最後に残して行ってくれるのかもしれません。
こんな別れは嫌だけれど、別れないために出会いを避けて孤独でいたら
生きる意味などないでしょう。
周りの誰もが同じように思っていたのだな、とつくづく思ったのは、
祭壇のメインのお花がひまわりだったこと。
Gさん、ありがとう。またね。