登場人物のメインは語り手となるトム、その母アマンダ、トムの姉ローラの3人です。
家族のいずれもが理想を持っているけれども、その理想は家族間では受け入れられず
それぞれが今の自分の境遇に不満を抱いている。
親子として、家族としての愛はあるようだけれども、対立ばかり。
当時としては婚期をのがしつつあったローラに男性との出会いの機会を与えるため、
母親はトムに会社の同僚を夕食に招くよう命じ、その命に従って、
トムは会社の同僚ジムを連れてくる。そのジムはローラが昔憧れていた相手だった。
二人の間につかの間の心の交流があるのだが・・・。
読み手の年齢や性別によって、多くの方が登場人物のいずれかの中に
自分の姿を見ることができるのではないかと思います。
姿を一切見せない、風来坊の父親も含めて。
客観的に見ていれば、あ~あ・・・と思えるのだけど、誰でも自分自身のことは
見えないものです。
母さえ、息子さえ、姉さえ、夫さえ・・・・ああだったら、こうだったら、と
思うばかりなのですね。
自分がこんな境遇になったのは、あの人が、この人が悪いから・・・・。
いつも悪いのは他人で、正しいのは自分なのです。
アマンダやジムの子の心情は、誰もが陥りやすい心境だからこそ、
読み手を辛い気持にさせるのでしょうね。
憧れていたジムから、ローラは力強い励ましを得て、幸福感に満たされます。
が、それもつかの間、彼は自分に婚約者があることをローラに伝えます。
それはローラの愛情を受け取められないことを伝えるためということも
あったと思いますが、本当にごく単純にジムの幸福を語っただけなのでしょう。
でも繊細なローラにとって、これは残酷で無神経な仕打ちでした。
奈落の底にでも落とされたような気分になったことだろうと思います。
わずかですが足に不自由を抱えるローラに限らず、劣等感を持ったり悩みを抱えたり、
なにかしらで自分を一人前と感じることのできない人間にとって必要なのは、
励ましや同情ではなく彼女自身を必要としてくれること、認めてくれることが
何よりも重要なものなのだとつくづく思いました。
母親は彼女を大事にしているけれども、彼女の足のことを決して
口にしてはいけないと厳命しています。
気にする程の障害ではないとローラ自身も息子も言っているのに
母親自らご大層なことにしてしまっているのです。
タイトルの「ガラスの動物園」はローラのコレクションのことですが、
母親アマンダが彼女を扱う様子もまた、時にガラスを扱うかのようです。
でも、それはローラの幸せのためという大義のもと、自分がなくしたり、
かなえられなかったものをかわりに叶えてくれる代替え品としての
扱いであることに、読者だけでなくローラもトムも気がついているのです。
認めたくないけれども、この母の心理が理解できる女性はかなり多いのでは
ないかと思います。
それぞれが妄想に近い期待を他人に対して抱いて勝手にヒートアップし、
そして一瞬にしてその温度が一気に下がって打ちひしがれる様なシーンが何度かあり、
それは多分、本人たちにはすごく惨めなことだと想像できるのでとても切ないですね。
いつも一発逆転を目指していて・・・それしか這い上がる術もないから・・。
先にも書いたように家族間に愛情がないわけでは決してないのに、
お互いうまくかみ合わない。それは自分のことしか見えていないから?
作品そのものもですが、あと書きにあった作者のその後がたまらなく哀しい。
実姉の境遇とその姉に対するテネシーウィリアムズの後悔、懺悔、愛情・・・
それを知って改めて振り返ると、この作品の悲壮な輝きが際立つように思いました。
良い作品を読むことができて良かったです。
大変満足しています。
ガラスの動物園 (新潮文庫)/テネシー ウィリアムズ

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これまでに2度映画化されているそう。舞台もですが、映画も見てみたいですね
1950年:ジェーン・ワイマン、カーク・ダグラス主演、アーヴィング・ラッパー監督。
1987年:ジョアン・ウッドワード、カレン・アレン、ジョン・マルコヴィッチ主演、
ポール・ニューマン監督。
Glass Menagerie [DVD] [Import]/Katharine Hepburn,Sam Waterston,Joanna Miles

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ここから先はワタクシのつぶやきです。
「ガラスの動物園」は甲斐バンドの3枚目のアルバムタイトルでした。
子どものころから「新潮文庫100冊の本」の冊子を読むのが好きだった私は
このタイトルを聞いて、すぐにこの戯曲が頭に浮かびました。
(あの冊子は、私にとっては文学史の教科書がわりでもありました。)
でもなぜだか、当時から「戯曲」というものに苦手意識を持っていて
手を出さずに来ました。何が理由だったのかなあ???
先日シェイクスピアの「ハムレット」を思った以上に、楽しく、また感動しつつ
読了することができたので、今がチャンスと思って読んでみました。
名作はやはり時代を越えて、いつ誰が読んでもその時なりの感じ方を
与えてくれるもののようで、もし高校生のころに読んだらそれはそれなりに
思うこともあっただろうと思いますし、今は今の私なりに感じるものが
いろいろあり、本当に読んで良かったです。
甲斐よしひろの好きな100冊の本の中には、この作品は見当たりませんが、
ジムが昔、ローズのことをある聞き間違いがきっかけで「ブルー・ローズ」と
呼んでいた、なんてことがあったので、やはりこの作品を読まれたことと思います。
ここからどの曲が生まれたか・・・ということは私の想像にすぎませんが
もしかしたら、何もかも捨てて出てきてしまった自分の過去を歌ったような
「らせん階段」と劇中のトムの心理が、あるいは作者テネシー・ウィリアムス自身の
人生そのものが重なるかもしれないな、なんて思ったりしました。
とはいえ、甲斐バンドのアルバムにしても、このテネシーウィリアムズの戯曲にしても、
「ガラスの動物園」というタイトルを聞くと、私の頭に浮かぶのは「男と女のいる舗道」の
あの繊細なイントロなんですね~。これはずっと昔からだ。
特に先日もお借りしたこのピアノで始まるライブバージョンがぴったり♪
途中、声がひっくり返る甲斐さんのこの音源、多分私は過去に聴いたことがあると思います。
もちろん読書時のBGMはこれだったさ~♪
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