16歳の少年がクリスマスの時期に学校を放校となり、家に向かうまでの
3日間の行動を1人称で語るというもの。
ちょっとした事件や他人とにいさかいは頻発しますが、あらすじを書くほど
脈絡はない感じでした。
数ページ読んだところで投げ出すか、以前買った「ライ麦畑・・・(野崎訳)」に
変えてしまおうかと思いましたが、とにかくこの本は旧訳自体も今から20年以上前の
85年ころに買ったきり一度も読みおえていないので、今回はやり遂げようとねばりました。
後半になるほどよくなっているように思いましたが、当初は異質なものを感じました。
小心なのに尊大で、虚言癖もあり、知的なものへのコンプレックスがあるナルシストの
子どもが、自分の価値を知らしめようとずーっとつきまとって、間断なく話しかけて
きているようなそんな印象でしたね。
一人称で最後までよどみなく話し続けていて、はじめはそれがかなり鬱陶しかったです。
そういえばあれは誰に向かって話していたのでしょう。
作中にはたびたび独り言をいう場面がありましたが、最後に明かされる彼の居場所を
考えると脳内では語る相手がいたってことなのかもしれません。
大人や大人の世界に反発しているけれども、大人になりたい願望が強い。
見よう見まねで大人ぶってみるけれども、現実の大人ではないから技術的なものが
伴わず滑稽な結果になってしまう。
それらすべては、彼以外の彼らが悪い、ということになってしまっていました。
負け惜しみとはちょっと違う・・・本当に、彼の行動を理解できなかった彼らが
愚かだと思い込んでいたように思います。
ジョン・レノンを射殺した犯人のポケットにこの本が入っていたとか、レーガン大統領の
暗殺を企てた男性の愛読書だったとか、発禁になったとか、そんな話からどれほど
過激な内容なんだろうと思って読みましたが、それほどとは思えなかった。
たぶんそれは時代・・・なのでしょうね。
もう日本でだって、無差別殺人なんて年中起きているわけだし。
確かに彼の雑言の中にも、本当に大人を皮肉ったいいところを突いた言葉も
かなりあるのです。それが多くの人の心をつかんだものだったとは思うけど、
でもやはりこれだけ年月が過ぎてしまうと、こんな若者の満たされない気持ちを
表現した小説も映画も山ほどあって、今の私にはさほど新鮮に映らなかったのは確か。
そういう意味では読むのが遅すぎたのかもしれません。
タイトルは、原題をそのままカタカナにした新版で初めて気がつきましたが
「ライ麦畑でつかまえて」いたのではなく、ライ麦畑の捕え人(ヘンな訳だ)と
人間が主語あったんですね~。
ま、私はタイトルは結構旧訳のものが詩的で好きですが。
で、このライ麦畑のキャッチャーこそ、この主人公の少年がなりたいと言っていた
ものなのですね。
御話し中のこの辺りはなかなか良かったのですが、やはりこれってネイティブにしか
味わえない何かがあるんじゃないかな~とも思いました。
ちょっとだけ手元にある村上訳と野崎訳を比較してみました。
村上訳は、わりともともとの品がいい子が無理して露悪化している印象で、
野崎訳はもうちょっと言葉使いがぞんざいで、ちんぴらっぽい・・・。
この少年の周りの環境から考えると、村上訳のほうがしっくりくるかな・・・と
思いました。全文通して野崎訳読んでいないので、断言はできませんが。
「ノルウエイの森」の中にも、「ライ麦畑の男の子みたい」のようなセリフが
あったし、またこの作品中には村上春樹の小説やエッセイなどにもよく
登場してくる「グレートギャツビー」や「デイビット・カッパフィールド」などが
出てきて、何となく村上春樹の原点の一つを見たような気がしました。
タイトルからして、あまりにも有名な「ライ麦畑でつかまえて」の野崎訳を前に
プレッシャーはあったと思うけど、楽しんで翻訳を終えた事でしょう。
もう一度読み直すことは多分なさそう。
野崎訳は時間をおいて読んでみる・・かも。
キャッチャー・イン・ザ・ライ/J.D.サリンジャー

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