「マザー・テレサ あふれる愛」 | MARIA MANIATICA

MARIA MANIATICA

ASI ES LA VIDA.

マザー・テレサの生涯と言うよりも、この本を書いたカメラマン沖・守弘さんの
人間としての成長記録のように読みました。
彼の撮影した写真と、原稿が半々くらいなので、文章自体はとても短いです。

マザー・テレサの人となりについてはご存知の方も多いと思いますが、
生まれはユーゴスラビアの豊かな家庭で、12歳のときにインドの状況を知り、
将来はインドで働こうと決意し、18歳で修道院に入ることになる。
同年インドに向かうが、インドの現状と修道会内の快適な生活にやがて
疑問を持つようになり、36歳のとき修道院を飛び出す。
以後、87歳で亡くなるまでインドのために働き続けることになる。
彼女の名前を冠した本はたくさんあるけれど、今改めて調べてみると
すべて第3者が記録として残したものばかりで、本人自身の手による
ものは無いようです。多分、そんな悠長な時間などなかったと思います。

筆者の沖守弘さんは、ある時に彼女の活動を紹介する写真を見て
感銘を受け、マザーテレサを訪れ、彼女の主宰する「死を待つ家」への出入り・
撮影を許可されることになる。
当初は、少しでもヒューマニティあふれる写真を!と気持ちが走り過ぎ
死にゆく人、嫌がる人に無理やりカメラを向けていたこともあったそう。
が、帰国してその写真を見ると何一つマザー・テレサの活動を世に知らしめるには
遠く及ばないと愕然とし、新たな気持ちでインド、マザー・テレサと向き合う
こととなったそう。
このあたりの気持ちの葛藤や変化はエピローグに簡潔に記されています。

79年にマザー・テレサがノーベル平和賞を受賞した時、彼がマザーに
メダルをかけている写真を、と口にしたところ彼女は一瞬きつい表情になった後
いつもどおりの表情に戻り「受賞はもう昔の話で、メダルはしまってある。
ノーベル賞のための活動ではないし、名誉、勲章などは意味のあるものではない」と
語ったそう。
初めて会った時も「彼女のヒューマニティに感動した」と伝えた時、マザーは
「ヒューマニティのためならば、それまでの生活を続けたままソーシャルワーカーに
なっている。自分は宗教のため、キリストのための活動にすぎない」と
答えたとのことでした。

宗教とは本当に強靭なものですね。
こういうことを知るたびに、信念や信仰を持つことは人を強くするのだと良く思います。
私自身は、宗教について考えるのは好きだけれど特定の信仰は持っていません。
しいて言えばカトリックとの付き合いが長く、刷り込まれたものは多いけど
どちらかというとアンチだったし、矛盾を感じることもたびたびありました。

特定の宗教など持たなくても、信念を持つことはできるだろうけど、
それを持ち続けることはなかなか困難だから、シンボルとしての宗教が
必要なのではと考えています。
毎月行っている「新月の願い」がもっと強力になったら、やはりそれは
宗教のひとつになってしまうと思っています。
宗教上での祈りや儀式は、新月の祈りと同様に、信じる対象とその意思を
明確にするための作業なんだと思うな~。

ボランティアを希望する人に対してマザーは「自分の生活、家族をないがしろに
しての行為はありえない。大きな活動はできなくても、できることを続けることが大事」
と語っていたそう。
それはよく言われることではあるけれども、なかなか実感は伴わないかもしれないです。
マザーが語っていたように「自分は特別なことはしていない、英雄扱いして欲しくない」と
言うことを当人だけでなく、第三者が同様に思えるようになるといいですね。
特別感があるから、好意で発したものもふとしたことでバッシング対象になって
しまうと思うので。

収められたインドで撮影された写真を見ながら、作品内にあった一言(誰の言葉か不明、
マザーでは無かったように思うけど)「人は遠くの国の不幸は、見つけることができる」を
思い出しました。
この沖さん自身も、インド渡航のために家や家財を売り払い、ご家族はかなり苦労されたそう。
小6の息子さんの日記には「サラリーマンの家に生まれたかった」と書いてあったと言います。
自分も含めてですが、人はやはり「特別」感があるものにまず惹かれてしまうのかもと
なんとなく皮肉なものを感じてしまいました。難しいものですね。


マザー・テレサ あふれる愛/沖 守弘

¥1,575
Amazon.co.jp