「姫君」 | MARIA MANIATICA

MARIA MANIATICA

ASI ES LA VIDA.

相変わらずの山田詠美です。
今回は5編入りの短編集。

最初の「MENU」を読み始めて、これは以前に読んで放りだした本だと気がつきました。
主人公の少年の行動が、当時は常軌を逸しているように見え・・・それも半端じゃなく・・・
怖くなってやめました。以来、最近まで山田詠美は読んでいなかった。

さて、その作品を再び・・・どうなのかな~?とこわごわと読んでみました。
今は好きな作家の1,2番目に挙げられる人であることと、もう10年もたっているんだし、と
自分に言い聞かせて、行為そのものじゃなくてもっと見えないものを読みとれないものかな、と。

でもやはり、後味はかなり悪かった。
彼の心情というか理想はわからなくはないけど、この残虐な報復は・・・どうなの?
裏切られる前に、傷つけてしまえ・・・ということなんだろうか?
この少年の今後を憂いてしまうのは、やはり彼が息子世代だからなのかな・・・。
日をおいて再読試みてみますが・・・。

「検温」「シャンプー」はなかなか良かった。
でも「フィエスタ」は何度か挑戦したけど、全然集中できず未読のままです。
これは日を改めなくては。
何かを擬人化しているらしいけど、それが何なのかが明らかになる前に投げ出したのは残念。
でも、読めないものは仕方ない。

表題作の「姫君」。
山田詠美の真骨頂と言う気がします。
お嬢様が主役なのではなく、姫子と言う名のホームレス。
その姫子を家に連れ帰った摩周との微妙な共同生活の様子と、最終的に訪れる悲劇のお話。

多分、山田詠美をあまり読んだことがないと、どの文章も不自然な印象を持つのではないかな。
特にこの短編集ではそれが際立っているように思う。
だけど、彼女の言葉は、脳の奥にある見えていなかったり忘れていたものを呼び起こし
そしていつも痛いところを突かれたような気分にさせられてしまう。(私は・・・ね。)
簡単な言葉でいえば、説明とか比喩がうまいのかな。
そう、この感じ!という思いがいつもある。

それは他の作家にはちょっと見られないもののように思う。
心情や情景を美しい言葉でつづった文章はたくさんあるし、資料かと思うくらい詳細に
データ並べたものもあるけれど、そのいずれも私にはやや物足りない。
もちろん好き好きがあって、私自身は心情をありのまま克明に描いたものよりも
詠美スタイルのように「その奥」を感じさせるものの方が広がりがあって好きなだけです。

喜怒哀楽をダイレクトに表現している作品の方が、分かりやすくて好きな方もいるだろうし、
どろりとした情念的な世界が好きな方もいると思います。
そういうものにドラマチックを感じる方からは、何カッコつけてるのよ!と評されると思う。
それは好みの違いなのでもう仕方ないよね~。

本の帯に「最高に贅沢な愛と死のシュミレーション」と書いてあったこの言葉は
なんだか嫌だな~。
そんなことを山田詠美が試みようとしていたとは思えなかったな、私には。

先日読んだ「無銭優雅」には「死ぬまで生きる」と書いてあり、
この「姫君」のあとがきには「死は生を引き立て、生は死を引き立てる」とあった。
「ノルウェイの森」で村上春樹は「死は生の対極にあるのではなく生の一部である」と書いていた。
さて、この3つは同じことを言っているのでしょうか?

こんなこと考えていると、高校時代に戻ったみたいな気分だ。
まだ彼女の小説の未読ストックはあるけど、しばらく離れないといけない気がします。
というわけで詠美はしばらく自重します。


姫君/山田 詠美

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