久々の仕事場でスペイン語を聴き、それからつい先日小林よしのり氏の「戦争論Ⅱ」を
読んだことで、昨日の昼休みはまた別の本を手にしつついろいろ考えていました。
「戦争論Ⅱ」についての感想はまた別の機会に譲りますが、最後のほうに書いてあった
「ナショナルな考えを持てないからインターナショナルになれない」という一文は
私がずっと思っていることと同じなんですね。
本屋さんにも本は山積み、外国語学校も教材もあまたあります。
「30日で話せるようになる」なんて心惹かれるタイトルのものも多数ありますが、
外国語が話せるってどういうことだと思う?
そもそもここで定義づけられている「会話」って何なのでしょうね?
あいも変わらず「どちらのご出身ですか?」「趣味は?」「申告するものは?」などと
言うのが関の山なんじゃないかと思います。
会話ができない、受験英語の弊害・・・などと言われるけど、基本となる自分の
言いたいことが何もないのに、会話力と言ったところで詮無い気がします。
外国語を話すってことは単なる技術の一つにすぎないと私は思ってます。
ギターやピアノが弾けるとか、テニスがうまいとかそういうのと変わらないのね。
外国語が話せても、人間性が、能力が、まったく別物になるわけじゃないのです。
今ある自分のレベル以外でしか、あり得ない・・・つまり、その人の持っているもの
以上になれることなどないのです。でもなんとなくこのあたり誤解されがちな気がします。
確かに私に関して言えば、スペイン語を話しているときは妙にアグレッシブになっては
いるけど、持っている知識以上のものは語ることなどできません。
早いほうがいいってことで、幼稚園から取り入れたり、小さいうちから塾に通わせたりする
ご家庭もあると思うけど、私個人としてはどうなのかな~と思います。
親が苦手だったから、子供には苦労させたくない…という考えもありだろうけど、
子供さんには語学力よりも先に、根気良く何かをやり遂げる力をつけるほうが重要だと
私は思います。
だって、この時期に万一英語がわからなくて苦手意識を持ってしまったらどうする?
それよりも苦手なものにも向かっていける精神力のほうが大事じゃないかな。
それに、何かを将来的に成し遂げるような志のある子供さんならば、親が整えなくても
自分で試行錯誤していくと思うんですよね。
私のスペイン時代の天敵ヒロトシはオペラ歌手を志していたのでカンバセーションの時間に
ドイツオペラを朗々と歌って、他の教室から大喝采をあびて一躍人気ものになっていたし、
やはり別の友人はスペイン語はお世辞にもうまくなかったけど、卓球で(スペインは
意外にも卓球がさかん)スペイン選手権に出場し準優勝しました。
以来マスコミにさかんに出演し、街を歩けば誰もが声をかけてくるそんな経験をしています。
楽器ができたり、歌が上手いなんてのは本当に私的にはベストに近いと思うけど
もっとシンプルに折り紙でなんでも折れるとか、珠算、書道を披露するとか、
とにかくどんなことでもいいから何か身につけるほうが重要だと思います。
たとえ披露する機会がなくても何かを熱心に学んできたら、語ることの一つや二つは
誰だって持てるはず。
そういう人がどんなに魅力的かは、別に日本で日常的に生活していたってわかりますよね。
技術としての語学は最低限でもいいと思う。
ほとんど話せなくたって、皆さんも海外旅行の楽しい思い出と共に無事生還してるでしょ?
たとえば無口だから、話べただから、あるいは何らかの障害で話をすることができない方が
では、何も語ることを持っていないか、というとそうではないでしょう。
1日中とぎれることなくさえずるように話している方のお話のすべてが耳を傾けるべき
内容を持っているかどうか…それを考えてみたって一目瞭然ではないかと。
国際人という定義もあいまいですが、単に正しい文法で流暢に話せる人がそうだと
言うわけではないと思います。
あまりにも使用頻度が高いので使うことに躊躇はありますがやはり「個」として、
あるいは「国民」としてのアイデンティティは重要です。
戦争の話題も度々出てきますから、好むと好まざるにかかわらず自分なりの考えを
持っている必要があります。
自国への理解なくしてインターナショナルなんてあり得ないのは事実だと思います。
それはもう右翼とか左翼とかの主義とは無関係に必要なことだと思います。
スペイン語検定1級の2次試験の問題にこんなのがありました。
「スペイン王室と日本の皇室の違いを説明しなさい。」
約5分程度でひとりでこのことについて語らなくてはなりません。
日本の皇室についてだけでも外国の皆様に納得頂ける説明を、私はできないです。
水墨画について、茶道について…こんな質問が過去にもあったようです。
まあ、それぞれの経験、興味によって考え方は異なると思いますが
私はこんな風に長年考えているのです。