スペイン 28 | MARIA MANIATICA

MARIA MANIATICA

ASI ES LA VIDA.

2A NORMALにおちついたのはもう1月も半ば過ぎのことでした。

その間に進んでしまった授業でわからないこともありましたが、

コバドンガという先生から「1Aからはじめて落第しないで、毎月

上級に進級した東洋人は、今まで本当に数えるほどしかない。

とても珍しいことだから頑張って。」と言われたことはよく覚えています。


多少無理はあったとは思いますが、このうれしい言葉が励みになりました。
先生のお勧めのサラマンカ大学編集の「Temas de Gramatica Espanola」という

本を買って、日本語の参考書と辞書、学校で習ったことを総動員して

自分なりの文法ノートを作成し始めました。
厚さ1センチほどもあるノートは、手前味噌ですがなかなかよくまとまっており、
今でも頼りになる参考書となっています。



Maria maniatica

マイ・ノート!ちゃんと勉強していたのさ~!!



この月はカイともずいぶん親しくなってよく遊んだ。

もちろんカイがいる時はマリサも一緒だった。

11,12月と、あまり話すこともなかったカイだったけど、

12月の終わりころには彼の良さもわかってきたし、

何よりもカイとの仲は「対等」と思えたことが私にはうれしかった。
ルディやステファンには本当によくしてもらったし、感謝の気持ちは

いっぱいあるけど、ついに対等には見てもらえていなかったように思う。


でもカイはそれまでの言動から、自分がいやなこと、心にもないことを

するような人ではないと わかっていたから、私のことも友達として

大事に思っていてくれると、うぬぼれではなく実感していました。
いつの間にかカイは同じ建物のレジデンシアに住んでいたので

よく遊びに行ってはいろいろ話していた。


マリサとは、何度も話すうちに教師と生徒を枠を超えた付き合いをする

ようになり3人でよく遊びました。


昨日も書いた台湾人のヤオリンは長くスペインにいるのに、

スペイン語がびっくりするほどできない子でした。
何しろ動詞の活用をせずに原形のまま使ってた・・・。

でもパッションで話すというか、彼女の言いたいことは、

本当によく伝わってきて、時々お互い同国人のような気になってしまい、

彼女が突然中国語で、或いは私が突然日本語で・・・お互いに話しかけて

しまうようなことも何度もありました。


19歳ながら、神秘的で独特のムードと眼力(メヂカラ)を持つ彼女は、

バルなどではちょっとした有名人で 皆にとても人気がありました。

本当に素敵な子でした。
年中彼女のPISO(ピソ・アパートの意)で夕飯を作って食べたり、

画集を見たりと楽しい心安らぐひと時を過ごしていました。
話なんかしなくても黙って座っているだけでも幸せ
(まるで恋のようだけど!)でした♪


Maria maniatica


スペイン語が通じないときの筆談。漢字万歳!!

でも何について話していたんだろう?


まだ続きます・・・。