2A NORMALにおちついたのはもう1月も半ば過ぎのことでした。
その間に進んでしまった授業でわからないこともありましたが、
コバドンガという先生から「1Aからはじめて落第しないで、毎月
上級に進級した東洋人は、今まで本当に数えるほどしかない。
とても珍しいことだから頑張って。」と言われたことはよく覚えています。
多少無理はあったとは思いますが、このうれしい言葉が励みになりました。
先生のお勧めのサラマンカ大学編集の「Temas de Gramatica Espanola」という
本を買って、日本語の参考書と辞書、学校で習ったことを総動員して
自分なりの文法ノートを作成し始めました。
厚さ1センチほどもあるノートは、手前味噌ですがなかなかよくまとまっており、
今でも頼りになる参考書となっています。
マイ・ノート!ちゃんと勉強していたのさ~!!
この月はカイともずいぶん親しくなってよく遊んだ。
もちろんカイがいる時はマリサも一緒だった。
11,12月と、あまり話すこともなかったカイだったけど、
12月の終わりころには彼の良さもわかってきたし、
何よりもカイとの仲は「対等」と思えたことが私にはうれしかった。
ルディやステファンには本当によくしてもらったし、感謝の気持ちは
いっぱいあるけど、ついに対等には見てもらえていなかったように思う。
でもカイはそれまでの言動から、自分がいやなこと、心にもないことを
するような人ではないと わかっていたから、私のことも友達として
大事に思っていてくれると、うぬぼれではなく実感していました。
いつの間にかカイは同じ建物のレジデンシアに住んでいたので
よく遊びに行ってはいろいろ話していた。
マリサとは、何度も話すうちに教師と生徒を枠を超えた付き合いをする
ようになり3人でよく遊びました。
昨日も書いた台湾人のヤオリンは長くスペインにいるのに、
スペイン語がびっくりするほどできない子でした。
何しろ動詞の活用をせずに原形のまま使ってた・・・。
でもパッションで話すというか、彼女の言いたいことは、
本当によく伝わってきて、時々お互い同国人のような気になってしまい、
彼女が突然中国語で、或いは私が突然日本語で・・・お互いに話しかけて
しまうようなことも何度もありました。
19歳ながら、神秘的で独特のムードと眼力(メヂカラ)を持つ彼女は、
バルなどではちょっとした有名人で 皆にとても人気がありました。
本当に素敵な子でした。
年中彼女のPISO(ピソ・アパートの意)で夕飯を作って食べたり、
画集を見たりと楽しい心安らぐひと時を過ごしていました。
話なんかしなくても黙って座っているだけでも幸せ(まるで恋のようだけど!)でした♪
スペイン語が通じないときの筆談。漢字万歳!!
でも何について話していたんだろう?