ストを乗り越え、無事バルセロナに着きました。
ここでは、ちょうど南フランスを旅行中の
高校時代の友人と落ち合うことになってました。
まずは宿探し。
地球の歩き方を見て決めていた、カトリックの
修道会が運営する・・・日本語で何ていうんだ
・・・とにかく、地方からの学生や会社員が
住んでいる女子寮で、そこで短期滞在の
旅行者も受け入れてくれると書いてあったので。
いくら探しても見つからなくて、道を聞いた
スペイン人のマリ・カルメンという16歳の
女の子が辛抱強く、1時間以上も一緒に
歩き回って探してくれた。
スペイン人のいいところってこういうところ。
つきあいがものすごくよくて信じられない位
親切なんです。
ようやく見つけたけど、ありがとうという言葉
以外には、いえるスペイン語力もなく・・・
でも住所は教えてもらって、その後しばらくは
文通などすることになった。
宿は、こわいおばさんが記録によると居たらしく
相当意地悪されたみたい。
二段ベッド二つ入った部屋で、見知らぬ
スペイン人と同室で寝た。
バルセロナでは、やっぱりガウディってことで・・・
サグラダ・ファミリア
カサ・パトリョ
グエル公園
・・・などを見た。
私はものすごくガウディの建築に期待して
いたのだけど、実は私の好みとはちょっと
違っていた。
あまりにアヴァンギャルドすぎるっていうんだ
ろうか・・・理解できない・・・。
ただ、彼の思い描いていた教会の完成後に
起こるはずだったことを聞いてとても感動した。
資料が見つからないのであいまいな記憶の
ままでごめんなさい。
確か、完成の暁にはある一定の時間ごとに
鐘が街中に鳴り響き、スペイン国歌を
奏でるよう設計されていたと聞いてます・・
うーん、残念。何だっけ。
でもとにかく思ったのは、こんな壮大な
意思の元に計画された、この高い建築物を
見上げながら生活するってのは、市民として
国民としてどれだけ誇らしいことだろうって
ことでした。
以後、スペインで知り合う人、誰に聞いても
「スペインで一番美しいのは、そりゃ
自分の生まれたところに決まってる」と
答えが帰ってきたことに、心底私は驚いた。
これは、日本人以外の誰からもそういう
答えがやはり返ってきたこととともに
今でもものすごく印象に残っていることのひとつ。
シエスタの時間というのを始めて
目の当たりにしたのもこのとき。
本当に道路から人っ子一人いなくなり、
大通りに車が一台も通らない状態、
想像できる?
これがスタイルって物だと思ったな~。
道路に枯葉が、舞うだけ。
バルセロナでも写真ぜんぜん撮ってない。
ないわけじゃないけど、友達とのスナップや
あとは変な看板とか、そんなのばかり。
(今度PCの調子がよくなったら取り込みます)
でも、ひまわりの種が袋に入って売っていて
それをサグラダ・ファミリアの真下のベンチで
大量の鳩にまとまりつかれながら
教会見上げて、食べたのはよく覚えてる。
夕飯も大体21時くらいが普通だから、
日本式に19時ころ出かけてもどこも開いてない。
よくわけもわからずに、ようやくその時間に
開いていたベジタリアンのレストランで
食事した。
夜遊びもせず、まじめな3人娘であった。
もったいなかったな~。
ここで2泊ほどして、グラナダをはじめとした
いわゆるスペインらしいスペイン、
アンダルシア地方に向かったのでした。
10月末、まだバルセロナでは半そで
着てました。
**追加で思い出した。
このとき、南フランスを回ってきた友人は
モネの睡蓮を見たかったんだ。
だけど、睡蓮はその時日本に行っていた。
で昨日私の書いたことは正しかったと思わない?
だって、他人の私が、あの時に睡蓮が
日本にあって、彼女気の毒だったなってこと
今でも覚えているくらいだからね。