パナマに行ったのは、1993年秋から
1996年までの丸3年になります。
もっとも、私はパナマに行きたくなくて
いやいやながら3ヶ月ほど遅れて、
娘を連れてふたりで行きました。
2歳になりたての子供を連れて行くのは
本当に大変で、昨日書いた
「スペイン子連れ留学」をいつかしたいと
思っていた私は、並大抵のことでは
できない、ってのを改めて実感しました。
パナマは、ご存知の方も多いでしょうが
南北アメリカ大陸の境、あのくびれの
ような部分・・・にあります。
首都はパナマ・シティ。
飛行機から見ると高層ビルが立ち並び
アメリカ資本の高級ホテルなどもあり
なかなか大きな都市です。
でも、私が住んでいたのはサンチャゴ市と
いう、横に長いパナマのほぼ中央に位置
する田舎町でした。
一応、バスの大きなターミナルがあり
そこからパナマの東西南北に移動する
ための中継地点ではありましたが、
3階建ての建物があったかな?という
くらい何もないところです。
パナマの通貨はバルボアですが、
実際はUSドルがそのまま使われている。
コインも米国のセントが使える。
でも、パナマ独自のものもあった。
その呼び名は忘れてしまった。
なんだっけ???
英語の通用度も首都では高く、
ラテン系の国にしては、喫煙者が
驚くほど少ない。
(ほかの国では年端も行かない美少女が
くわえ煙草でよく歩いていてびっくりした)
パナマ運河の管理権の関係で米軍の
兵士および家族が多く住んでいたことに
起因するのでしょう。
「グリンゴ」という言葉を聴いたことが
ある方もおいでかと思いますが、これは
米軍のアーミーグリーンの洋服に、
ヤンキー・ゴー・ホームのゴーをつけた
造語で、北米に対する蔑称として
使われていました。
それからこれはジョークなのかどうか
わかりませんが、
「SOY AMERICANO,
PERO NO SOY AMERICANO」なんて
のも聞いたことがあります。
直訳すると「私はアメリカ人だが
アメリカ人ではない」となります。
北アメリカの人間と(ラテンアメリカ人を)
一緒にしないでくれ!と言うことかな、
と思っていますが・・・。
そうは言っても、切っても切れない仲では
あったようで、その辺、日本の事情に
似ているかもしれません。
1999年12月新運河条約により、
パナマに運河地帯の主権が返還され、
アメリカ合衆国からの第三の独立により
全土にわたりパナマ主権の国家となる。
・・・とWIKIPEDIAにありましたが、
アメリカの介入なく、自力でどれだけ
やっていけるのか気になるところですね。
つづく・・・
赤・青に星が印象的。
コロンビアの支配下にあった頃に
制定されたもの。
青と赤はコロンビア保守党(保守派)と
コロンビア自由党(共和派)を、
白は平和を表す。
青い星は
この国の生活の純粋さと誠実さを、
赤い星は
この国の権威と法律を、
・・・表すのだとか。
私は今日まで、アメリカの影響を受けた
デザインだと思っていたけど、
歴史のある旗だったのですね。
