☆近江屋跡☆ | ☆美剣雷覇☆公式ブログ 『ならぬものはならぬ』

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海援隊の隊長の坂本龍馬は慶応3年11月15日の夕刻、宿舎にしていた近江屋で陸援隊の隊長の中岡慎太郎と三条制札事件について話し合っていました。

風邪気味だった坂本龍馬は、中岡慎太郎のともに軍鶏鍋を食べたいと思い、鹿野峰吉に軍鶏を買いに行かせました。峰吉が軍鶏を買いに出た間に、十津川郷士と名乗る者たちが坂本龍馬に会いたいと願い出ました。山田藤吉は客を坂本龍馬に会わせようとしましたが、後ろから斬られてしまいました。

大きい物音に対して坂本龍馬は「ほたえな」と言い、刺客に自分たちの場所を教えてしまいました。刺客は階段を音を出さずに駆け上がり、ふすまを開けて部屋に侵入しました。坂本龍馬はほとんど抵抗できず、額を斬られてしまいました。そのあと後頭部から背中を斬られ、再度額を斬られたところで、刺客は全員立ち去りました。

坂本龍馬はその場で絶命、中岡慎太郎はまだ生きていて助けを求めましたが、2日後に死亡しました。

事件当初は実行犯が新撰組だと噂されていましたが、実行犯は見つかりませんでした。しかし、後に見廻組隊士の今井信郎の供述により、見廻組が実行犯であることが有力となりました。
他にも、紀州藩が「いろは丸事件」に対する報復説や、大政奉還により武力倒幕できなくなった薩摩藩の陰謀説などがあります。実際はどうだったんでしょうね。


{FD16CA21-6C51-4E09-8BF3-7D35AE712578}近江屋があった場所はかっぱ寿司になっていました寿司
まぁ、ここに行ったのはけっこう前ですし、近江屋跡地の店はよく変わるので、今もかっぱ寿司なのかはわかりませんけどえー


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『坂本龍馬 中岡慎太郎 遭難之地』と刻まれた石碑がありましたキラキラキラキラ

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説明板です。

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この地で坂本龍馬という男は亡くなりました。薩摩藩と長州藩を結び、徳川幕府に大政奉還させ、日本の未来を変えた男です。

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坂本龍馬は本当に凄い方です。