こんな時間にこんばんは。
夜勤生活に加え、元々極端に夜型だったのもあってお休みの日でもこの時間がメインで生活しております。
・夜勤
これ、書いたかなあ?
夜勤をしてらっしゃるお客様とそれについて話すことがありまして。
「私夜型だから夜勤平気だと思う」
「いや、家で起きているのとその時間に働かなきゃならないのはやっぱ違うよー」
という会話がなされたことがあったのです。
で、5年以上夜勤やってみてどうだったのかと申しますと。
ごめん、超快適☆
生活リズムが合っているのだなあ、としみじみ思います。
ただこれは夜勤オンリーだからこそ言えるのであって、今週までは夜勤だけど来週からは日勤、とかいう(あっここで二人顔が浮かんだお客様がいらっしゃいます)混合生活は私には無理だと思われます…。
・派遣、その後
2015年(だっけ?)の派遣法改正により、同じ会社の同じ部署で3年しか働けなくなりました。
部署が変わればまた3年働けるとかそういうのもあったみたいですけど、あくまで今の仕事が楽しかっただけで他の部署に異動してまで働きたいかと聞かれればそういうわけでもなく。
結局、直接雇用で残ることになりました。
自分が数年間必死に頑張ってきたこと、派遣期間が終わった後のことなんて全く考えずにひたすらやってきたことが認められていた、必要だと言ってもらえた、それが何より嬉しかったです。
自分の数年間の評価が、雇用条件として現れたことも。嬉しかった。
ここらへんは書いたらまずいことが多いのでさくっと済ませました。失礼。
・派遣終了、その後
かくかくしかじかで直接雇用になりましたけども、さて問題はそこからです。
モチベーションの維持ってどうやるのぉぉぉぉぉぉ!!!
そもそもがどうして派遣で働き始めたのかと言うと、それは“社会復帰”だったからなのですよ。
あーもう一般社会面倒だなあ、辞めよっかなー!という気持ちになっても、仕事しんどい…もうやだ…という気持ちになっても、どうせ3年しか働けないんだ、じゃあ3年続けて期限を迎えてやろうじゃないの!!と。
そういう風に考えたら、粘り強くなれるんじゃないのかな、忍耐力がつくんじゃないのかな、と。
そう考えまして。
まず期限まで働く、それが一番の目標だったのです。
んでその目標がなくなってしまったわけー!
ちなみに、これだけできたら一人前、これだけできたら凄いよ、と上司に強請って無理矢理のように提示させた数字は派遣時代に既にクリア済みで、じゃあこれからの私は一体何を目標にすれば…ともやもやしているわけです。
一人前扱いされるけど、自分としてはまだまだ半人前ぐらいの気持ちで居るし、だからこそ次はどこを伸ばせば!?と両手をわきわきさせているのですが、その方向が見つからず。
それで、時々、あーなんかもう辞めたいなあ、と。
直接雇用になってからもう20回ぐらい思ってます(笑)
なんかねえ、ほら、父親のことがあったじゃないですか。
絶対に退院させる!とか、そういう目標があったからこそ、ひたすら頑張れた数年間だったわけです。
あの時に、目標があれば自分は頑張れる人間だということ、それに向かって必死に突き進むことの苦しい中の一種の楽しさみたいなものを知ってしまったので。
逆に、目標がないと頑張れないのでしょう。
決して、意識高い系とかではないんです。
ただひたすらに頑張れる目標が欲しいだけ。
それを仕事に求めるのが間違いなのでしょうけども。
ある意味仕事に依存しているのかもしれません。
・ルームメイト
さて、この流れでルームメイト。
今でもルームメイトです。
更に今では、同僚且つ後輩というカテゴリも加わりました☆
ルームメイトの働いていた店が急に閉店することになり、どうしようかなー…と呆然とするルームメイト。
もういっそ私の働いてるとこ、来る?と。
まあそんなわけで。
めっちゃ厳しく指導しました。
だって、私の紹介だということは知れ渡っているから、例えばミスをしたりしても、誰も厳しくはしてくれない。覚えるのが遅くても、何も言われない。きっと。
でもそれって、ルームメイトのためになるのだろうか。
(※私たち二人とも、古い世代の人間ですからね)
じゃあ私がやるしかないじゃん!?と。
自分が数年間蓄えたノウハウと、間違いを見抜くためのポイント、諸々を叩き込みました。
言葉を尽くしました。
ちなみにそれは全て、私が入った頃に“教えてもらいたかったこと”でした。
当時は教えてなんてもらえなかった。
ただただ見て、流れを理解して、じゃあこういう時はこうするのか、と自分で考えるしかなかった。
そういう教え方もありなんでしょう。
ただ、私は、あの時にこの言葉があれば一度で理解できたのに、と思うわけなのですよね。
ルームメイトはルームメイトで、覚え間違いをしたら「○○さんこんなこと教えたの?」と私の評価に関わる、と思っていたそうです。
それで必死にくらいついてきてくれました。
私は私の評価なんてどうでもよかったんですけどね。
とにかく彼女を“私の紹介で入った人”ではなく、一人の戦力と思ってもらえるようになってほしかった。
そんな結果として、通常よりもかなり早くに独り立ちを済ませたルームメイト。
何かの折に、「ようやく、○○さんの友達」じゃなくて、ひとりの人間として認めて貰えた気がする…と、嬉しそうにしていました。
よかったね、と私もなんかこう…ほろりとね。
紹介するされるって、とても責任があって大変なことだと私もルームメイトも思うわけです。
なので双方必死になってぶつかりあって色んなことを学んだ時期でした。
ちなみに今はルームメイトも新人さんに仕事を教えたりしていますが、中には覚えの遅い子、何度も同じことを言っても覚えられない子もいるわけで。
当時の自分を思い返しては、「私って優秀な生徒だったんだなあ…!」って言ってます(笑)
ちなみに普段の私はとても優しいですよ。
それが良いことなのかどうかはともかくとして。
・同僚になったルームメイトとのある日の会話
それは私が、「あー仕事行きたくねぇなあ!!」と大の字に転がって叫んだことから始まりました。
「は?」
「しごとー!いきたくないー!!」
「休めばいいじゃん」
「んな簡単に休むわけいかないじゃん…でも行きたくないって思うこと、あるでしょ!?」
「ないよ」
「えっ」
「仕事は仕事。行きたいと思ったことは一度もないけれど、逆に行きたくないと思ったことも一度もないよ」
…なんだこいつ…正気じゃねえ!!!
何この人…頭の中身AIなの?でとろいとびかむひゅーまんなの!?(名作ですね)
私は楽しくなければ仕事が続かないので、まあだいたいうきうきして仕事に行ってました。
なので前述の、目標がなくなってからは、なんとなーく楽しいことが減って、あ゛ー今日行きたくないなあ…と思う日がぽつぽつ出てきたわけで。
対してルームメイト、実は、生きてきて一度も仕事が楽しいと思ったことがない人。
どうもその分、仕事は仕事と割り切って、常にフラットな状態でいられるようなのです。
え、え、みんなどっち?
私タイプ?ルームメイトタイプ??
もしかしたら二人とも極端なのかなって思います。
今の職場で「楽しい」と言ったら結構凄い顔して驚かれるし。
(むしろドン引きされてしまう)
でも、どんな人だって、仕事に行きたくない日ぐらいあると思ってたよ私は!!
これ、つい最近知った、ルームメイトの仕事に対する一面でした。
長くなってまいりました。
さて一旦次で最後。
・にゃんこさま
旅立ちました。
前々回の記事の後とだけ書いておきます。
22歳でした。
病院に連れて行っては、「20歳超えたアメショー、僕は初めて見ました!」と驚かれたりもしましたねえ…。
最期は、とても静かに、本当に眠っているかのようでした。
死んでいることに最初は気づかなかったぐらい。
前日から、ああもうこれでお別れだ、と思っていたので寝ないでついていたのですが、ほんの3時間ぐらい同じベッドで並んで寝てしまった間のことでした。
当時のこと、LINEのトップページに記事として残してあって、今回それを久しぶりに読み返したら涙が止まらなくなったので、ここではあまりしっかりとは触れません。
可愛い子だったなあ、と思います。
そしてとてもいい子だった。
甘えん坊だった。
抱っこが大好きだった。
大好きだった。
大好きでいてくれた。
出会えて、私のところに来てくれて、よかったなあと心から思います。
私は決していい親ではなかったけれど。
夢でもいいから会いたいのに、一度しか出てきてくれてません。
ところでルームメイト、自称“見える人”です。
どうして自称なのかというと、私は見えないからです。
でもルームメイトには、まるで生きてる人のように見えるため、あんまり驚かないというか、普段見えることを意識していないのだと言っていました。
そんなルームメイト、にゃんこさまが亡くなった時は少し、ほんの少し泣いただけでした。
それも、私があんまりにもわんわん泣くから、つられて泣いたかのような感じでした。
しょうがないね。だって彼女、途中参加だもの。ずっとずっと一緒に居た私とは違うんだもの。
そう思っていました。
にゃんこさまが亡くなってからしばらく経ったある日のこと、ルームメイトが突然泣きだしました。
「にゃんこさまがいなくなった」と。
私は、えっなにこいつ状態ですよ。
何言ってんの?やっべ頭おかしくなった??ぐらい思いました。マジで。
ルームメイトが言うには、実はにゃんこさまはしばらく家の中をうろうろしてた。
いつもの場所で寝てたりくつろいでたりもした。
それがついに見かけなくなった、ここ何日か全く見てない、と。
そう言ってぼろぼろと涙をこぼしたわけなのですよ。
ああ、そっか。
にゃんこさまが亡くなったとき、私はひたすら悲しくて泣いていたけれど、ルームメイトにはまだ家の中にいるにゃんこさまが見えていて、まるで生きているときと同じように見えるものだから。
だからあまり泣かなくって。
それが、ついに姿が見えなくなってしまったから実感がわいて泣き出したのかな?と。
そんなことだったのかなと思います。
その見えなくなった時期は、だいたい想像つきますよね?
そういうことです。
ちなみに。
「なんでにゃんこさまいるって教えてくれなかったのよー!!」
「だって教えたら泣くじゃん!!」
というやりとりがあり。
その後時々(そう、その後も時々来ていたらしい)にゃんこさまがくると「今そこの上にいるよ」と教えてくれたのですが、それを言われた瞬間にうぼぁぁぁあああと奇声をあげて泣き出す私だったのでした。
今ちょうどルームメイトが起きてきたので、最近にゃんこさま見た?と聞いてみたら、いや、しばらく見てないね…とのこと。
私は、まっっったく見えない人で、まあ怖いものは苦手なんで見えなくていいんですけども、たまに嫌な感じだけはわかることがあって。
でも、父の一周忌の時かな?夜中実家で人の気配を扉越しに感じたことがあって、全く怖くなかったので「あー父親が帰ってきたのかなー」ぐらいに思っていましたけども。
にゃんこさまの時も、一度だけ感じたことがありました。あと音。
さあ、今回はここで終わりです。
前々回からここまでの3年間に起きた個人的に大きな出来事を少しずつ続けて書いてきましたが、ここで少し話は戻ります。
仕事に依存しているのかもしれません、と書きましたが、にゃんこさまが亡くなってからそれは顕著なものになりました。
そんなわけなんです。
少し前までは休みの日はつまらなかったですもん。
だってにゃんこさまいないし。
家にひとりでいるのが寂いあまり、人が少ない時は出勤してたりもしました。
最近ようやく、休みの日が嫌じゃなくなってきたので、ここにも来てみました。
じゃあ次回は、今回書けなかった笑い話なんかをちょこちょこと。
読んでくださってありがとうございました。