藤原行成 | 芳村直樹のブログ

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男子勉強会のメンバー
もう一人
「後に書で名をはせる」と紹介された
この人物について
ちゃっとだけ勉強
Wikipediaを読んでおきましょう



藤原行成

平安時代中期の公卿 書家 三蹟


天禄3年(972)〜万寿4年(1028)

藤原北家九条流 右少将・藤原義孝の長男

世尊寺家の祖となります

母は、醍醐源氏 中納言・源保光の娘



祖父・藤原伊尹の猶子となりますが

祖父、父が相次いで薨去

外祖父・源保光の庇護を受け成長します

源保光は

文章生から式部大輔を務めた紀伝道の学者であり

太政官では蔵人頭を務めるなど

漢学に造詣深く 内廷外廷両方の吏務に通じ

この学問や知識をもって 

行成に十分な教育を施したと想定されます


天正5年(982)桃園邸で元服

永観2年(984)従五位下に叙爵

 これは師貞親王の年爵によるもの

 親王と行成は従兄弟にあたるそうです


大河第3回『謎の男』は

その永観2年春の話

行成は数え年13ですね


師貞親王が即位すると

(65代花山天皇)

行成は天皇の身近に仕えます

寛和元年(985) 侍従

寛和2年(986) 昇殿が許され 左兵衛権佐


しかし、

右大臣藤原兼家の策謀により

花山天皇は出家、譲位

(寛和の変)

行成は外戚の立場を失います


66代 一条天皇の御世(986〜1011)


行成は、それなりに

立身を続けますが

任官面での不遇は否めなかった

とのこと

永祚元年(989) 源泰清の娘と結婚


ようやく

長徳元年(995) 蔵人頭に任ぜられます

(前任者・源俊賢の推挙)

長徳2年(996) 民部権大輔、権左中弁、左中弁

長徳3年(997) 備前守

長徳4年(998) 右大弁 東三条院別当

行成の精励ぶりが

一条天皇から評価され

臨時に従四位上に叙せられます


長保元年(999)

藤原道長の長女・彰子が

一条天皇の後宮(こうきゅう)に入内し

女御となるのですが、


このあたりのことは

もう少し経ってから

調べることにしましょう


書家としての評価なども

あらためて勉強しますね



藤原行成


行成の筆使いを覗きこむ藤原道長


藤原道長を演じる柄本佑の

朴訥な表情に癒されますw


この二人

行成と道長は

万寿4年(1028)12月4日

同じ日に

亡くなったみたいですよ


こりゃまたビックリな話ですね


今回は、こんなところです。。。