小山朝政 | 芳村直樹のブログ

芳村直樹のブログ

シャンソン歌手・芳村直樹の自己満足的な東京散歩ブログです


注意●ネタバレあり
◎大河ドラマ『鎌倉殿の13人』
第12回に登場する人物の予習

次々に紹介される
御家人について
おさえておきます


小山朝政〈中村敦〉


小山朝政(おやまともまさ)

誕生 久寿2年(1155)?

死没 嘉禎4年3月30日(1238.5.15)


僕が子供の頃

「おやま、あれま、おやまゆうえんちー」

てなTVコマーシャルが流行ってましたが

(2005年閉園だって、知らなんだ汗)

その遊園地のあった小山市

現在栃木県で宇都宮市に次ぐ第2の都市

「こやま」じゃなくて「おやま」ですな

その小山を本貫とする小山氏です


小山氏

藤原秀郷(俵藤太)の後裔と称した

太田氏を出自とする地方豪族

朝政の父・政光が、下野国小山に土着

小山氏を名乗りました(小山氏の祖)


小山政光は

八田宗綱の娘で

源頼朝の乳母の一人であった

寒河尼(さむかわのあま)を後妻とします


治承4年(1180)

源頼朝挙兵の際

政光は京都大番役勤務のため不在でしたが

10月、頼朝が房総半島で再起すると

その寒河尼が

当時14歳の末子(のちの結城朝光)を連れ

隅田宿の頼朝宿所を訪れています

この尼の行動により

下野国最大の武士団小山氏が

頼朝方につくことになり

北坂東武士団の去就に

決定的な影響を与えたとのことです


小山政光

長男・小山朝政ら息子たちとともに

鎌倉殿の御家人となりました


野木宮合戦

(のぎみやかっせん)

寿永2年(1183)2月

頼朝打倒の兵を挙げた

常陸国の志田義広(頼朝の叔父)を

小山朝政、弟の長沼宗政が攻め破ります

この合戦で

源範頼が朝政側に加わっています

(これが範頼の『吾妻鏡』初見記事)


元暦元年(1184)

源範頼が平家追討のために京へ向かい

小山朝政はそれに属するよう命を受け出発

元暦2年(1185)

周防国から豊後国に渡ります

壇ノ浦の戦いで平家一門は滅びます


その年4月15日、頼朝は

内挙を得ず任官を受けた御家人の

鎌倉入りを禁じます

その中に小山朝政も入っていましたが

早々と許されたみたいです


文治5年(1189)奥州合戦

さらに、それ以降も軍功が認められ

かなりのいいポジションにいるようです


引き続き、観戦したいと思います。。。