源頼政 | 芳村直樹のブログ

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◎大河ドラマ『鎌倉殿の13人』
第3回に登場する人物の予習

源頼政(1104〜1180)

この武将は
調べれば調べるほど不思議に思います

地味だけど
けっこう安泰な人生をおくってきたのに
なんで 70歳をとっくに過ぎてから
派手なことを
やらかしちまったのでしょうか???

源頼政〈品川徹〉


長いこと

鳥羽院に仕え

美福門院に近い立場にいたようです

保元の乱(1156) 平治の乱(1159)と

美福門院に従った結果

どちらも勝者の側に属し

中央政界に留まることとなりました

源氏の長老なのに

平清盛の信頼もあつく

武士としては破格の従三位まで昇り

公卿に列しました

*源三位(げんさんみ)の通称が

 後世においても伝わります


武勇の誉れも高かったようで

近衛天皇のために

怪物・鵺(ぬえ)を退治した説話が

『平家物語』に記されています

朝廷から頼政に下賜されたと伝わる

「獅子王」と号する日本刀が現存します


治承3年(1179)11月

頼政は出家して

嫡男の仲綱に家督を譲り

めでたしめでたし!!

だったはずですが、


翌 治承4年(1180)

以仁王と結び

平家打倒の挙兵を企てるんです


なぜ?

不思議ですよねー



平宗盛〈小泉孝太郎〉


挙兵の動機としては

嫡男仲綱の愛馬をめぐり

平宗盛が酷い侮辱を与えたことが原因で

武士の意地から平家打倒を決意したと

『平家物語』には書かれています


準備不足のまま

平家軍と戦い

治承4年(1180)5月26日

宇治平等院で自害します

享年77


辞世の句

埋もれ木の花咲くこともなかりしに

身のなる果てぞあはれなりける



僕は

5年前(2017)京都の旅で

宇治平等院にある

源頼政の墓をお参りしていました


↓↓↓その時のブログです


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かんじんの「扇の芝」は

見落としてしまったようです

お恥ずかしや 汗