大庭景親と坂東武士 | 芳村直樹のブログ

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シャンソン歌手・芳村直樹の自己満足的な東京散歩ブログです


注意●ネタバレあり

◎大河ドラマ『鎌倉殿の13人』
第2回『佐殿の腹』

一触即発の状態で睨み合う
北条と伊東の軍勢
仲裁に駆けつけたのは
大庭景親(おおばかげちか)

景親は平清盛を後ろ盾に
相模国の武士団を束ねる豪族で
その勢力は伊東氏をも上回ります

頼朝の身柄は北条に預け
今後は八重との縁を切るとの
起請文を書かせることで
両者の矛を収めさせました


大庭景親〈國村隼〉


大庭氏は

坂東八平氏の鎌倉氏の流れを汲む一族

相模国の大庭御厨(みくりや)(伊勢神宮の荘園)の

下司職(下級職員)でした


*頼朝の父・源義朝が

 まるで893のように暴れる

 大庭御厨事件というのがあるのですが

 今回の大河ドラマには

 関係なさそうなのでスルーします


その後の大庭氏

平治の乱(1159)で

源義朝に従い敗戦

平清盛に助命された恩から

平家の忠実な家人となり

相模国をまとめます


この先

治承4年(1180)

源頼朝が挙兵すると

平家方の武士を率いて

石橋山の戦いにのぞむわけですが

その話はその時に書きましょう



國村隼さんのインタビュー記事を読むと

坂東武士というものが勉強できます


このドラマで描かれる

坂東武士とは

ものすごく冷徹でドライ

兄弟のように育ってきた者同士でも

利害が反したら敵となり

さほど良心を痛めることなく

平気で殺し合いができるものです

それは

自分の家族や領民を考えての行為ですし

武士を生業(なりわい)とする人の

まっとうな感覚だと思います

そんな中で

大庭景親は

妙に義理がたい人間です

平家から受けた恩を何より優先し

坂東武士をまとめることが

平家に義理を果たすことであり

そこに矜持があったわけです


頼朝の挙兵で

ほかの坂東武士たちが

頼朝を勝ち馬と見極め乗っかっても

大庭景親は

長く世話になった平家方につき

信念を貫き通したわけです




山内首藤経俊〈山口馬木也〉

父と兄は

平治の乱(1159)源義朝の下で戦死

母は源頼朝の乳母(めのと)

経俊は頼朝と幼少期をともに過ごしました

北鎌倉散歩で

よく見聞きした名前です


堤信遠〈吉見一豊〉

伊豆国目代(もくだい)の後見役

目代とは「お代官さま」みたいな役人

こんな人

僕は今まで知りませんでした

義村クンを土下座させちゃって

ムカつく男ですねー

源頼朝挙兵にあたり

最初の攻撃目標になるみたいですよ

ざまあーです笑笑



土肥実平〈阿南健治〉

湯河原の温泉郷に館を構える豪族です

今回は

頼朝と義時の入浴シーンで

お世話になりました

頼朝挙兵での活躍に期待しましょう