京都予習 新日吉神宮 | 芳村直樹のブログ

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シャンソン歌手・芳村直樹の自己満足的な東京散歩ブログです


○7月17日(最終日)

=行動予定=
最終日は平日につき
世間さまの通勤時間帯等
迷惑をかけないよう心がけたい

京阪 七条駅 下車
ウォーキング スタート

まずは
後白河関連の社寺を訪ねる


77代 後白河天皇(1127〜92)は
わずか3年の在位(1155〜58)で
第一皇子 守仁親王に譲位 (二条天皇)
上皇として院政を行った

永暦元年(1160)
新たな院の拠点として
法住寺殿の造営が行われ
その鎮守として
新熊野、新日吉の両社が勧請された

昨年の旅では
新熊野神社を参拝したが
今年は新日吉を訪ねてみようと思う


■新日吉神宮(いまひえじんぐう)
・東山区妙法院前側町451-1


新=いま   「今」の意味
日吉=ひえ「日枝」「比叡」と同じ

日吉山王七神とともに
創建した後白河院をあわせ祀るので
「神宮」号を称している

◎祭神
大山咋命(おおやまくいのみこと)
賀茂玉依姫命(かもたまよりひめのみこと)
大己貴命(おおなむちのみこと)
田心比売命(たごりひめのみこと)
菊理比売命(くくりひめのみこと)
大山咋命荒御魂
賀茂玉依姫命荒御魂
後白河天皇
・相殿
素盞嗚尊(すさのおのみこと)
大年神(おおとしかみ)

大山咋命は
山(比叡山)の地主神であり
山背国を開いた
農耕治水を司る神である

大山咋命の妻神が賀茂玉依姫命
父神が大年神  祖父神が素盞嗚尊

大己貴命は
別名大国主神 大物主神
出雲大社の祭神であり
天智天皇が日吉大社に勧請したと伝わる


◎その後の歴史

後白河上皇没後
新日吉神社は
いくたびも移転を重ね
一時はほとんど廃絶状態だったという

江戸時代になり
寛永17年(1640)
108代 後水尾天皇と
その実弟 妙法院の堯然法親王により
再興されることになる

豊臣秀吉の幼名
日吉丸を思わせる
新日吉神社の再建は
徳川幕府に破壊された豊国大明神の
復活を願ったものかもしれない
そんな説があるらしい

これまた木下姓を思わせる
樹下社(このもとのやしろ)が勧請され
妙法院で密かに保管されていた
豊国大明神の御神体が安置されたという
(現在の境内末社 豊国神社)


明治30年(1897)
豊国廟の再興整備に伴い
新日吉神社は現在地に遷座した

昭和33年(1958)後白河天皇を合祀し
翌年 現在の社号 新日吉神宮となった


◎境内チェック

・狛猿=ご神猿 まさる(真猿 魔去る 勝る)
・ご神木 スダジイ(樹齢500年〜800年)

□新日吉神宮 拝殿 本殿

□境内末社
豊国(ほうこく)神社 (元 樹下社)
愛宕・秋葉神社
飛梅天満宮
山口稲荷神社




■豊国廟(ほうこくびょう)
・東山区今熊野北日吉町61-1

豊臣秀吉の墓所

新日吉神宮から東へ
500mほど坂道を上ると
豊国廟の入口 拝殿がある

そこから墓所まで
さらに 563段の石段を上る

豊臣家滅亡後
徳川幕府により破壊され
朽ちるにまかされていたが
明治30年(1897)
秀吉の300年忌に際し
巨大な五輪石塔が建立された

本当は今年
その石段にも
チャレンジするつもりでいたのだが
今現在の自分の身体の状態では
相当キツイような気がする

おそらく参拝はパスすると思う