今現在は暗渠となった幻の川
谷端川の流路をたどる
ウォーキングのつづきです
○5月28日
12:20 自宅出発
まずはJRを利用して
板橋駅へ向かいます
埼京線のダイヤの乱れで
だいぶ時間をロスしちゃいました
前日の地点から再スタート (^_^)/
谷端川の暗渠は
このあと
埼京線のガード下をくぐるようです
「谷端川」ではなく「矢畑川」との表記
単なる誤記かもしれないし
もしかしたら
同音異字の表現があったのかもしれない
そこのところは今の僕にはわかりません
12:55
板橋駅東口側に出て南方向へと歩きます
明治通りとの交差点
明治通りを渡ったあとも
川の蛇行のような道がつづきます
住居表示は
両岸ともに 豊島区西巣鴨です
説明板があります
僕が初めて これを読んだのは
10年くらい前になるでしょうか
その時から「谷端川」を
意識するようになったわけで
懐かしい貴重な説明板です
13:13
>説明文コピー
●谷端川跡
所在地 豊島区西巣鴨1-17
この道路はむかし、谷端川という川でした。
谷端川は、粟島神社(要町2-14)境内の湧泉(弁天池)を水源とし、周辺の湧き水を集めながら、長崎村、池袋村、中丸村(板橋区)、滝野川村(北区)、巣鴨村を経て、小石川村(文京区)に至り神田川に注ぐ、区内最大の流域を持つ川でした。
(全長 約11km)
川の名称は、豊島・北・板橋区内では谷端川、文京区内では小石川(礫川)と呼ばれ、元禄9年(1696)に千川上水が完成した後、上水の水を川に引き入れたため千川分水とも呼ばれました。
その後、近郊農業の発展とともに、谷端川が流域の人々の暮らしと密接に関わってきました。
かつて弁天池では農作祈願の雨乞いが行なわれ、流域の各所に大根などの野菜の洗い場や水車があり、夏は蛍が飛び交い、子供たちは水泳や蜆(しじみ)・鮒(ふな)・鯉・鰻・ドジョウなどを採って楽しんだといいます。
またこの付近には、木綿の晒(さらし)工場や染物屋があり、きれいな水が流れていた様子がうかがえます。
(巣鴨の昔を語り合う会編『聞き書き帖谷端川』)
大正期に入ると都市化が進み、昭和初年から谷端川の改修と暗渠工事が始まりました。
JR板橋駅より下流のこの地は、昭和10年前後に暗渠となり、上流域は昭和24年から改修・暗渠工事が行なわれ、昭和39年に谷端川は全域が暗渠となりました。
平成16年(2004)8月 豊島区教育委員会
13:15
まもなく北大塚三丁目交差点です
◇◇◇
上の説明板に示される
JR板橋駅より下流
歩いてみて
かつてこの道が
谷端川という川だったことを
実に感じさせる道だと思います
谷端川のさらに下流は
文京区へと流れます
僕は文京区民ですが
生まれた時には
おそらくすでに暗渠
千川通りと呼んでいたので
川の名前は
千川だと思っていました
それがすなわち小石川
と気づいたのは
つい最近のことです
次のブログにつづく。。。