8時を目安に清水寺をおいとまして
どうせなら三年坂を下りましょう
すでに予習済の
●建仁寺南門
●六波羅蜜寺
●六道珍皇寺
この3ヶ所を見学したら
洛バス100に乗って
この日のメインに向かいます
京都の道路の混雑状況は
まるで予測つきませんが
10時半には
●慈照寺(銀閣寺)
到着したいと思っています
こちらの予習は
前日の金閣寺とともに後回し
ゆっくり勉強するつもりです
***
銀閣寺門前町から
南に向けて
琵琶湖疏水分線の水路沿いに
●哲学の道
という名の遊歩道があります
明治時代には文人が多く住み
哲学者 西田幾多郎 田村元らが
好んで歩いた道だそうで
昭和47年(1972)
地元住民の保存要求の声に
環境整備された散歩道です
おそらく春の桜や秋の紅葉は
観光客でごった返すでしょうが
人混みの苦手な僕としては
今どきはシーズンオフで
静かであることを願うばかりです
画像はWikipediaより借用
マップで見ると
2km弱の長さですから
寄り道をしなければ
1時間程度の道のりです
あせらずに
沿道の寺社に立ち寄り
非公開なら雰囲気だけでも楽しみ
途中 極秘の昼食をとる予定です
鹿ヶ谷という地名
平安前期の高僧 円珍(智証大師)が
山中で道に迷い鹿に助けられた土地
歴史の授業で習った
安元3年(1177)の
鹿ヶ谷の謀議が頭に浮かびます
鬼界ヶ島流刑となった俊寛を描く
歌舞伎狂言『平家女護島』も
いつか見てみたい演目です
画像はWikipediaより借用
浄土宗開祖 法然(1133~1212)が
ここ鹿ヶ谷の草庵にて
弟子の安楽、往蓮とともに
念仏三昧の行を修し
六時礼賛を唱えられました
建永元年(1206)のこと
後鳥羽上皇お気に入りの女官
松虫、鈴虫という美人姉妹が
安楽、往蓮を慕って出家し
上皇の逆燐に触れる事件が起きます
旧仏教からの圧力もあったようで
安楽、往蓮は死罪
法然は讃岐国に流刑となります
(承元の法難)
●法然院(ほうねんいん)
鹿ヶ谷草庵は荒廃しましたが
延宝8年(1680)
知恩院38世 萬無(まんむ)が
跡地に念仏道場建立を発願
その弟子 忍澂(にんちょう)が
現在の伽藍の基礎を築きました
浄土宗内の一本山でしたが
昭和53年(1978)独立し
単立寺院となっているようです
伽藍内部の拝観は
春と秋の特別公開に限られますが
庭園などは無料入山できそうです
墓地に谷崎潤一郎の墓があり
できればそれも探してみたいです
●安楽寺(あんらくじ)
こちらも安楽、往蓮を弔う寺
同じく延宝年間創立
松虫鈴虫寺と呼ばれています
やはり春と秋の特別公開です
●霊鑑寺(れいかんじ)
臨済宗南禅寺派の門跡尼寺
承応3年(1654)
108代 後水尾天皇が
皇女を開基もして創建
鹿ヶ谷比丘尼御所とも呼ばれます
皇室ゆかりの寺は興味津々ですが
春の特別公開以外は
門が閉ざされているみたいです
●大豊神社(おおとよじんじゃ)
狛ネズミとの記述を見ただけで
ネズミ大嫌いな僕は却下ですw
●若王子神社(にゃくおうじじんじゃ)
永暦元年(1160)後白河法皇が
紀州の熊野権現を勧請し
祈願所としたことにはじまります
このあと予定している
永観堂の鎮守社のようです
ここはゆっくり参拝できそうです