高尾太夫を訪ねて
第8話(最終回)仙台そして塩原
「仙台に美人はいない
それは高尾太夫の祟りであろう」
そう言ったのは坂口安吾である
決して僕の発言ではない
シャンソン界の先輩歌手
仙台出身の
かいやま由起さんのために
そんなことは
口が裂けても言えたもんじゃない (汗)
2カ月に1度 偶数月の第3木曜日
銀座コリドー街『蛙たち』
かいやまさんとご一緒のライブで
僕もシャンソンを歌っているので
皆さん是非お越しいただきたい (. .)
最終回だというのに
初っ端から脱線をしてしまった (爆)
あ、そうそう
散歩ブログと看板を出してはいるが
僕の散歩は 予算の都合上
都内を歩き回るのが精一杯
この最終回は
ネットの中で旅することになるのを
大目に見てほしい
歌舞伎のストーリーでは
隅田川三ツ股の舟の上で
あはれ高尾太夫は
仙台藩主伊達綱宗に
吊し斬りにされてしまうのだが、
伊達氏の地元 仙台では
高尾が殿さまの側室となって
幸せに暮らし天寿を全うした
との説もある
仙台にも高尾の墓があるらしい
●佛眼寺
・仙台市若林区荒町35
綱宗の側室の一人
椙原品 (すぎはらしな) という女性が
高尾太夫なのだそうだ
ただし 西方寺や春慶院に埋葬された
2代目高尾とは別人で
こちらは4代目高尾ということだ
享和元年(1716)11月25日没
戒名「浄林院妙讚日晴大姉」
椙原品の屋敷門が
青葉区の瑞宝寺に残されていて
「高尾門」と呼ばれているという
それに対する反論で 大物が登場した!
あの森鷗外が『椙原品』という随筆で
「品は吉原にゐた女でもなければ
高尾でもない」と
ちゃんとした素性を調べてくれている
高尾太夫の話に
まさか明治の文豪まで登場するとは
思ってもみなかった
鷗外の随筆は 内容が豊富で
勉強になることがたくさんあるが
僕の知りたかった
2代目高尾の話からは
遠のいてしまうので今回は省略する
ただ一点だけ
隠居後の綱宗は
品川の仙台藩下屋敷で
幽閉状態だったということ
その屋敷があった場所は
京浜急行青物横丁駅の近くで
今も仙台坂という名前が残っている
高尾太夫(2代目高尾)のことは
それなりの知識ある人たちにとって
もしかしたら有名な話かもしれない
とかく世間知らずの僕だから
隅田川を散歩していて
たまたま出会った高尾の逸話は
どれもこれもが新鮮で興味津々
夢中になって調べてしまった
おそらく江戸時代
高尾太夫という花魁は
江戸っ子たちの
憧憬的存在だったのだろう
殿さまに求愛されたり
実は相思相愛の若い男がいたり
挙げ句の果てに吊し斬りにされたり
さまざまなドラマが展開するのは
高尾に憧れる江戸っ子たちの
妄想によるところも
多分にあったに違いない
話が派手であればあるほど
謎が多ければ多いほど
高尾がスターであった証と
とらえることができる
僕のような俄かファンが
高尾について語ることは
恐れ多いことだが
自分自身の想い出として
長々と書き綴ってしまった
▲那須塩原もみじ谷
最後に
高尾の生まれ故郷
塩原温泉
こちらも予算の都合上
出かけるわけにはいかないが
ネット上で
他人さまのブログを拝読し
塩原の寺にも
供養塔があることを知った
●妙雲寺
・栃木県那須塩原市塩原665
真言宗智山派甘露山妙雲寺
本尊・釈迦如来
>説明板コピー
本尊・釈迦如来
>説明板コピー
塩原高尾
高尾は寛永18年(1641)塩原町の元湯で「勘解由」と「はる」の長女に生れ、幼名を「あき」と言う。兄は「角兵衛」弟に「門太」がある。
5歳のときに下塩原塩釜に移ったが、出稼ぎの父が消息を絶ったので「長助」という父が迎えられた。
8歳のとき水戸の湯治客の紹介で江戸吉原の妓楼「三浦屋四郎左衛門」の養女となり、女としてのたしなみを種々修得した。
16歳の明暦3年(1657)1月18日の振袖大火により全焼した三浦屋を再興するため養育の恩返しをしようと遊女になり2代目「高尾」を襲名した。
8歳のとき水戸の湯治客の紹介で江戸吉原の妓楼「三浦屋四郎左衛門」の養女となり、女としてのたしなみを種々修得した。
16歳の明暦3年(1657)1月18日の振袖大火により全焼した三浦屋を再興するため養育の恩返しをしようと遊女になり2代目「高尾」を襲名した。
しかし肺疾患のため一年あまりで離籍し、浅草山谷の三浦屋別荘での療養も空しく、万治2年(1659)12月5日「寒風にもろくもくつる紅葉かな」の辞世を遺し19歳で亡くなった。
春慶院に葬り 戒名を「転誉妙身信女」と贈る。
才色兼備の名妓ゆえに「伽羅先代萩」「高尾ざんげ」等名作芸能の主役に擬せられたため諸説を生んだ。
「万治高尾」とも「妙身高尾」また「塩原高尾」とも言う。(後略) 住持白
高尾太夫を訪ねて
才色兼備の名妓ゆえに「伽羅先代萩」「高尾ざんげ」等名作芸能の主役に擬せられたため諸説を生んだ。
「万治高尾」とも「妙身高尾」また「塩原高尾」とも言う。(後略) 住持白
妙雲寺の住職さんの文章には
仙台の殿さまとの事件も
若い男の存在も
書かれてはいない
幽霊の正体見たり
ではないが
そこには
苦労のうちに短い生涯を閉じた
愛すべき少女の姿しか感じられない
故郷というのは優しさに満ちている
東京生まれの僕としては
うらやましさを覚えるばかりだ
高尾太夫を訪ねて
楽しい散歩だった
いつの日か
いつの日か
塩原にある供養塔も