高尾太夫 3 殺害現場を歩く | 芳村直樹のブログ

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高尾太夫を訪ねて

第3話    殺害現場を歩く


皆さんご案内のとおり
江戸時代初期
徳川幕府は戦略上
千住大橋 (1594完成) 以外
隅田川の架橋を認めていなかった

明暦の大火 (1657) の大惨事を受け
ようやく 2番目の橋
両国橋が架けられることとなる

前回
吊し斬り事件の時には
新大橋、清洲橋は存在しなかった
と書いたが、
実は この両国橋さえも
けっこう微妙な感じなのだ


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▲広重『江都名所 両国橋納涼』


仙台の殿さま伊達綱宗公
吉原の花魁 高尾太夫を舟に乗せ
大川 (隅田川) を下った

何億もの大金を積んで
身請けしたというのに
高尾は一向に首を縦に振らない

三ツ股と呼ばれるあたりに
舟が差しかかった時
若き殿さま 堪忍袋の緒が切れた
高尾を裸にし
吊し斬りにしてしまったのだ

そんな殺人事件が起きたのが
万治2年(1659)12月5日とされる


さて
両国橋は (諸説あるが)
万治2年12月13日に完成している

となると
架橋工事が佳境を迎え
てんやわんやしているような
両国橋をくぐって間もなく
この殺害が行われたということだ

あな恐ろしや!!


嫌がる高尾太夫が
そう簡単に綱宗公の船に乗るとは
考えにくいので
どうせなら 両国橋完成の日に
見物を口実に誘ったことにすれば
もっと話はすっきりしただろうに

だが そうなると
たくさんの人出があっただろうから
事件の目撃者も多数にのぼり
大変なことになってしまっただろう

とかなんとか
話をどんどん複雑にしている張本人は
もしかしたら僕かもしれない (笑)



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▲現在の両国橋


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▲現在の新大橋



吊し斬り事件が起きたとされる
三ツ股とは
川の流れが三つに分かれる地点

大川 (隅田川) の本流から
西へ箱崎川、東へ小名木川が
分かれて流れている場所である

現在の地図で言うと
新大橋と清洲橋の間にあたる



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三ツ股の流れの一つ箱崎川は
埋め立てられてしまって今はない
上図にオレンジ色で示される
首都高の筋が 箱崎川の跡である


隅田川と箱崎川に挟まれる
中洲 (なかす) という地区は
元々は葦の生い茂る湿地帯で
古くから月の名所として
舟遊びで賑わっていたらしい

おそらく 潮の満ち干で
現れたり沈んだりする土地
だったのではないかと僕は考える


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▲歌川豊春『浮絵江戸深川新大橋中須』


この絵が描かれてからすぐ後
明和8年(1771)
中洲の干拓がはじまる

田沼意次が台頭する時代
船宿、茶屋が立ち並び
対岸の深川から芸者が招かれ
両国や浅草をしのぐ
江戸一番の遊興街になったそうだ

ところが
その後の寛政の改革になると
風紀粛清、質素倹約が第一で
どんちゃん騒ぎなど許されない

中洲の繁華街は取り壊され
わざわざ造成した土地なのに
元の浅瀬に戻されたという

ま、理由はいろいろあるようだが
再び葦が茂る浅瀬となった風景画

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▲広重『みつまたわかれの淵』(1856)

僕らの知る東京湾は
まだまだずっと先に位置するが
当時はそろそろ河口も近く
この辺が淡水と海水の分かれ目で
「わかれの淵」と呼ばれたらしい



あれもこれもと書いていたら
高尾太夫の話から脱線ばかり
僕自身の頭の中が
整理できてなくて
本当に申し訳ない  m(_ _)m


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せっかく歩いてきたのだから
現在の隅田川の写真も貼っておくが
このあたりが
高尾太夫の殺害現場です!!
と言っても
今の僕らにはピンとこない  orz.


江戸の町人たちにとっては
おそらく興味津々の話題だったろう

吉原きっての遊女の噂と
若き殿さまの失脚話
どちらも一生お目にかかれない
雲の上の人のワイドショーネタ

いつの間にか二つの話題が
ごちゃまぜにされたのかもしれない

よしんば
綱宗公が高尾のもとに通ったり
大金を積んで身請けしたことが
事実だったとしても
庶民がその一部始終を知る由もない

吊し斬りなんてものは
フィクションフィクション


……と思っていたのだが、


このあと
隅田川下流に歩いていくと

高尾太夫の遺体が大川端に流れ着き
それを手厚く葬った
という話が登場するから驚きだ

Σ( ̄。 ̄ノ)ノ

次回は
高尾太夫の頭蓋骨を
祭神として祀る
高尾稲荷神社について書こうと思う


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▲現在の清洲橋