日枝神社 山王神道と神猿 | 芳村直樹のブログ

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シャンソン歌手・芳村直樹の自己満足的な東京散歩ブログです




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江戸時代から
徳川将軍家の保護を受け
「山王さま」として
江戸っ子たちに親しまれ
崇敬を集めてきた日枝神社

その「山王」とは何か?
ちょっとだけ調べてみました (^O^)/



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山王神道とは
天台宗総本山・比叡山延暦寺で生まれた
神道の流派だそうです


天台宗の開祖
伝教大師・最澄が教学を学んだ
中国・唐の
天台山国清寺の鎮守神が
道教の地主山王元弼真君

帰国した最澄は
それに倣い
日吉(ひえ)山王権現を
比叡山延暦寺の
地主神(じすしん)としました




はるか古代の人々は
秀麗な山に霊性を見出だして
神体山と崇め
農耕の豊饒を祈願し
先祖や同朋の鎮魂を念じてきました

いわゆる山岳信仰です

比叡山もやはり
聖なる神籬(ひもろぎ)
神体山でした

比叡山を聖山霊地と仰ぐ信仰は
東山麓の近江(滋賀県)側に
強かったようです

比叡山の霊性について
『古事記』には
「大山咋神亦の名を山末之大主神
 近淡海国の日枝山に座す」
と記されています



比叡山(日枝山)の山岳信仰
神道
そして天台宗が融合されて
山王神道が生まれます

この三位一体の考えから
「川」と「一」
「三」と「Ⅰ」を組み合わせ
「山」と「王」の字が生まれ
「山王」と呼ぶようになりました

山王神道では
山王神は釈迦の垂迹であるとされます

最澄が日吉(ひえ)山王を
地主神として尊崇して以来
日吉社は延暦寺の守護神となり
天台宗の発展とともに
全国へ広がっていくことになります



関東においては
江戸時代
徳川家康につかえた
天海僧正が
さらに山王一実神道を唱え
家康の霊を
東照大権現と祀りました

山王一実神道では
山王権現は大日如来であり
天照大神であると説かれます




明治になると
神仏分離の政策がとられ
廃仏毀釈の嵐が吹き荒れます

比叡山においても
日吉山王権現は
比叡山延暦寺から分離され
日吉大社に改組されました

延暦寺からの独立を目指す
神官たちによって
神域にある仏像・仏具は
ことごとく焼き払われたといいます

多くの貴重な歴史的文化財が
失われたのは残念なことです



現在
全国にある元の山王社は
大山咋神を祭神とする
日枝神社、日吉神社となっている
ということらしいです



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さて、

日枝神社の拝殿の両脇には
狛犬ではなく 猿 がいます (¨;)


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どうやら猿が山王の神使のようです


正確な起源はわからないそうですが
かつて山岳信仰の中で
比叡山に生息する猿が
イメージされたのでしょう


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曇り空だったので
神門の写真は
またもNGばかりでした

内側(社殿側)の篇額を載せておきます

「皇城之鎮」



この神門
外側(参道・男坂側)には
随神像が
安置されていますが、

内側には
社殿に向いて
ここにも猿がいます (@ω@ )/


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「神猿」と書いて「まさる」

「魔去る」であり
「勝る」でもあります


おそらく夫婦なのでしょう
片方は子猿を抱いています


「猿」→「エン」→「縁」???



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ガラス越しで写り悪いですが
神門の表側にある随神像です