九段ぶらり散歩(南4丁目) | 芳村直樹のブログ

芳村直樹のブログ

シャンソン歌手・芳村直樹の自己満足的な東京散歩ブログです




東西にのびる靖国通りをはさんで
北側に九段北
南側に九段南という町
ともに
東から西へ1~4丁目を
これまで歩いてきました

いよいよ
九段ぶらり散歩の最後は
南4丁目のレポートです


∞∞∞


まず 表通りの靖国通り

4丁目に入ると
ゆるやかな下り坂になります

芳村直樹のブログ-1.jpg

麹町(こうじまち)郵便局など
ビルが建ち並び 商店は少ないです

九段散歩のはずなのに
九段という町名は
だんだん影をひそめてゆきますw

芳村直樹のブログ-2.jpg

市ヶ谷(いちがや)駅が近づくと
ビルの看板には
「市ヶ谷」の文字が目立ちます

  例えばドトール市ヶ谷店
  ドトールの場合
  九段店は南2丁目にあったので
  まあ仕方ないですけどネ ^^;

日本大学本部
山脇美術専門学院などがあり

芳村直樹のブログ-3.jpg

JR市ヶ谷駅前交差点よりも手前で
九段南4丁目は終了です


∞∞∞


靖国通りの途中
何度か左に折れ
路地裏も歩いてみました

南へ向かう道で
飲食店が一番集まっていたのは

芳村直樹のブログ-4.jpg

東郷通りです

この道の先には
二七通りをはさんで

東郷元帥記念公園があります

芳村直樹のブログ-5.jpg

日露戦争の日本海海戦で活躍した
連合艦隊司令長官・東郷平八郎の
屋敷があった場所だそうです

公園の所在地は
千代田区三番町なので
近い将来
三番町散歩をした時に
ゆっくり見ることにしましょう


∞∞∞


さて、

二七通り(にしちどおり)

靖国通りに平行して
その南側を東西に走る裏通りですが

その変わった名前を調べたところ

二七不動尊というのがあったそうです
(九段南4-2-4)

大昔のことか?
と思ったら
平成17年4月に火災で焼失と
つい最近の話じゃないですか w(゚o゚)w

それでこのあたりは
商店が多いんですね

東郷元帥とも縁があるらしいので
何か手がかりを探してみたいです


∞∞∞


靖国通りに戻り
一番西寄りの坂を上ってみましょう

坂を上った先が四番町
坂の右(西)側は五番町です

芳村直樹のブログ-6.jpg

この坂道は
東郷通りとは打って変わって
商店などはなく
○○会館のオンパレードでした

上の写真で
五番町側(坂の右側)にある建物は
日本棋院会館です

五番と碁盤を掛けているんですかね?w


坂の名前を示す標柱があったので
坂上から振り返って紹介しますね(o^-')b

芳村直樹のブログ-7.jpg

歌舞伎で有名な番町皿屋敷の
旗本・青山播磨の腰元・お菊が
髪をふり乱し帯をひきずって逃げた
という伝説の「帯坂」だそうです

へええー!! びっくり!! (゚ロ゚ノ)ノ

番町皿屋敷って
千代田区の番町なんだ!!

恥ずかしながら初めて知りました orz.

これも またまた
ゆっくり調べてみたいと思います


∞∞∞


最後に
例によって
千代田区町名由来板を載せておきます

芳村直樹のブログ-8.jpg

◎九段4丁目(九段4丁目町会)

>説明文コピー

九段4丁目界隈は、江戸時代から昭和初期まで三番丁(さんばんちょう)四番丁(よんばんちょう)と呼ばれていました。
九段北と九段南を分けて走る靖国通りも、かつては三番丁通りと呼ばれ、幅が8mほどの細い道でした。武家の屋敷町ということもあり閑静な通りだったそうです。

かつて、旗本一番組から六番組まであった徳川家の親衛隊が江戸城の西側に住居を与えられ、旗本の町をつくったのが、番町の名のおこりでした。
しかし、明治維新に際し、徳川慶喜の跡を継いだ徳川家達が静岡に領地を与えられて江戸を離れると、旗本がこれについていったため、一時は町内が閑散とした状態だったようです。
その後、官有地として公人の住まいに転用されたり、商家が登場したりするなどして徐々に賑わいを取り戻していきました。
隣接する九段3丁目界隈は、上三番町と呼ばれ花街として栄える一方で、九段4丁目は下三番町と呼ばれ、上三番町を支える商人街として発展してきたのです。
昭和8年の区画整理にともなう町名変更のとき、住民の意志を反映して初めて「九段」という町名が誕生しました。
そして下三番町地域と四番町の西側半分が一つとなり、九段4丁目となったのです。

もともと下三番町時代の大正8年(1919)に氏神である日枝神社(千代田区永田町)の町会神輿を維持していた「三番町睦会」が、関東大震災と太平洋戦争という大きな試練をのりこえて、現在の九段4丁目につながっています。
先人たちが命がけで守ってきた大神輿は二代目となりましたが、江戸文化を継承し、また、江戸天下祭「山王祭」の一翼を担うという自負心が、九段4丁目気質となってしっかり受け継がれています。

芳村直樹のブログ-9.jpg


上の説明文を読むと
「住民の意志を反映して九段が誕生した」
としながらも
やけに「番町」に執着していますね

やはり
本来の九段は
1、2丁目の九段坂であり
今日では
北3丁目の靖国神社を指し

4丁目ともなると
別の文化圏のような感じがします


∞∞∞


これにて九段散歩は終了です

桜が咲いたら
また
千鳥ヶ淵
靖国神社
外濠公園
訪ねてみるつもりです (^_-)-☆

次の散歩は
九段の南に位置する「番町」地区です

現在の住居表示にも
一番町から六番町まで存在します

そして

早くも宿題が出されました

東郷元帥のこと(二七不動の件も含む)
番町皿屋敷のこと

なんだかちょっと難しそうです (*_*;)/