万世橋散歩 | 芳村直樹のブログ

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シャンソン歌手・芳村直樹の自己満足的な東京散歩ブログです




千代田区神田地域(旧神田区)を
東西に横切る靖国通り

西から東へと歩きながら
その周辺の町を散策しています


***

神田須田町の交差点では
南北に走る中央通りと交差します

中央通りは
北に向かえば上野へ
南は日本橋、銀座、新橋へ至る道
かなりの数の車が行き交います

神田須田町は
昔も今も交通の要衝として栄えました


須田町交差点の写真
南から北方向を眺めたものです
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交差点は五叉路で
現在の中央通りは
二つに分かれたうちの
右側の道を北へ進みます

左側の道(★)は
歴史上で大事な道ですが
その話は後で書きますね

***

中央通りを200mほど歩くと
神田川に架かる
万世橋(まんせいばし)に着きます

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万世橋を渡った先は
おそらく皆さん見たことがある
お馴染みの風景だと思いますが

秋葉原の電気街「アキバ」です
(住所は千代田区外神田)

歩いてきた中央通り
橋を渡ってすぐの信号までは
国道17号線の標識があるので
日本橋を起点とする中山道の
現在の相当道ということになります

そこから
中央通りは真っすぐに進みますが
国道17号線は左(西)に曲がります

***

●万世橋(まんせいばし)

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現在の万世橋は
関東大震災(1924)後の帝都復興事業で
昭和5年(1930)に完成した橋です


川に架かる橋というのは
今でこそ頑丈に造られていますが
木橋の時代には
洪水に流されたりして
何度も架け替えられているので
その歴史を全て調べ書き出すのは
ちとややこしいので
遠慮しておきますw

ただ
一番最初は大事ですから
それを知るために
須田町交差点まで戻り
説明を保留しておいた
左側の道(★)を歩いてみましょう

***

実は
江戸時代の
通り丁筋(メインストリート)は
こちらの方角へ向いていたようです
つまりは
この道が旧中山道ではないか!?
と僕は思うのです

こちらの道を 200mほど歩くと
JR中央線の高架の土台となる
赤レンガの壁に突き当たります

そこには説明板がありました

きちんと撮った写真が行方不明で
変なのを貼りますがごめんなさい

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●御成道(おなりみち)
>説明板コピー
『御府内備考』に「御成道、筋違外広小路の東より上野広小路に至るの道をいう」とあります。筋違(すじかい)は筋違御門のあった所で、現在の昌平橋の下流50mの所あたりに見附橋が架かっていました。
御成道の名は将軍が上野の寛永寺に墓参のため、江戸城から神田橋(神田御門)を渡り、この道を通って行ったからです。
見附内の広場は八つ小路(やつこじ)といって江戸で最も賑やかな場所で、明治時代まで続きました。
八つ小路といわれたのは、筋違、昌平橋、駿河台、小川町、連雀町、日本橋通り、小柳町(須田町)、柳原の各口に通じていたからだといわれます。
(後略)


補足すると
筋違(すじかい)の名前は
江戸城から上野寛永寺への御成道と
日本橋から本郷方面へ続く中山道が
ハスに交差した場所ということです

御成道が神田川を渡るための
筋違見附橋こそが
万世橋のはじまりといえるのです


***

明治45年(1912)
筋違見附の跡に
万世橋駅が開業しました

甲武鉄道(現在の中央本線)の
起点となった駅です

ありがたいことに
こんなパネルが歩道脇にありました

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左の写真が万世橋駅ですが
豪華な駅舎は
今話題のあの駅に似てますよね

それもそのはず
東京駅と同じく
万世橋駅駅舎は
辰野金吾が設計した建造物なんです

駅前広場には
日露戦争の英雄・廣瀬武夫の像が建ち
おおいに賑わったと伝わりますが
そのスペースは
かつての筋違御門の
八つ小路を活用したものだそうです

しかし
間もなく東京駅が完成し
大正8年(1919)
中央本線は東京駅に乗り入れて
万世橋駅は
ターミナル駅の座を
東京駅に譲ることとなります

万世橋駅の乗降客は
次第に減少し
関東大震災で全焼した後は
簡素な駅舎が再建されただけで
昭和18年(1943)廃駅となりました

***

駅跡地には
交通博物館がありました

僕も子供の頃に遊びに行った
懐かしい博物館です

その交通博物館も
平成18年(2006)閉館してしまいました

想い出が一つ消えたようで
なんとなく寂しい感じです


ところが
ところがです
なにやら工事が行われているんです

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JR東日本では
旧万世橋駅の遺構を利用して
周辺一帯の再開発を始めたそうです

懐かしい交通博物館のような施設が
再び誕生することを期待しながらも

そんな金があるなら
東日本大震災の復旧や復興のために
使うべきでは?との疑問も感じます