ライフ
ファイナライズ
コーチ
☆
くりちゃんです
終活の時期に始めた二拠点生活
横浜と軽井沢を行き来しつつ
人生(life)を
まとめ上げていく(finalize)
過程を実況中継しています
みなさまに
参加していただく場所を企画中
なるほど族に所属している人たち
私はそのことについてわかってますよ
だからあなたの言うこと
正しいって認めてあげますよ
と言う立場に立って
相手の言うことを査定し評価し
その上で同意の意を示している
同意を表明しているつもりで口にする
なるほど
そこに
心の立ち位置が見えてしまっている
心の立ち位置が透けて見える言葉がもう一つある
人が話している音声を録音して
その音声分析をするといいかもしれない
本人は発音したと思っていない
3シラブルの音声が紛れ込んでいることが多い
👇
や は り
この言葉から話し始める場合も多いが
話している途中に
ちょろっと入り込んでいる
話し手は気づいていないようだ
やはり の精神分析をしてみよう
この言葉の背後には
時間的
空間的
広がりがある
どちらも
同質性
不動性
の中に自分の位置をとっておきたいという
思惑が求めるものだ
時間的同質性を求めているとき
⇒以前もそうだったけど今もそうですよね
過去と現在の一致を確認をしたい
空間的同一性を求めているとき
⇒あそこでもそうですけどここでもそうですよね
二つの空間の同質性を確認したい
問題はなにとなにとが同質だと思いたいのか
あるいはなにとなにとが一致していると言いたいのか
自分と周りの他者とは
同じ意見ですよね
自分は変なことを言っていませんよね
みんなと同じ事言ってますよね
あなたたちも同じ見方をしてるでしょう?
自分が群れからはぐれてしまう恐怖
究極の他人軸
自分が他者と乖離していないことの表明が
やはり、やはり、やはりのオンパレードだ
私はあなたたちと同じですよ
私は社会の見方とずれていませんよ
街角でテレビインタビューに答えている人の言葉
やはりなしで発言している人はほとんどいない
マイクを突き付けられたとたん
世間一般の考え方を言わなくては
という強迫観念に捕らえられたのか
それとも自分の言っていることは
テレビ視聴者すべてが同意してくれると信じているのか
いずれにしても自分の考えでなく
他者たちの考えによりそうことばが
やはりにつつまれて発せられていく
テレビのワイドショーに出演する
いわゆるコメンテーターたち
発言の中にやはりを取り込むのがかなり上手だ
ある大学教授の言葉を切り取って
やはりの数を数えてみた
話し始めのやはり
話しの途中に合いの手としてはいるやはり
一分間に十一個のやはりが挿入されていた
テレビに出演するということは
テレビ局やプロデューサーの意向を汲んだことを言うのが
前提条件になっているのだろう
テレビ局やプロデューサーたちは
権力側やスポンサー側から有形無形の検閲を受けている
やはりは
究極の他人軸の立ち位置に立つ人がつけている名札なのだ
大学のゼミの授業で学生たちに
やはり禁止令をだしてみた
彼らの舌は何かに固定されたように
しゃべれなくなっていた
今の日本では
やはりの呪詛から逃げるのは
”やはり”
難しいようだ