横浜市中区山手町へ住み始めて3か月がたった
 
ブラフとよばれる切り立った丘の上の住処から
東西南北へ徒歩で歩き回った
 
元町、本牧、伊勢佐木町、桜木町など
親しみのある町になった
 
そんな中、山手本通りを西に行った先にある
根岸森林公園に行ってみた
 
森林にかこまれて広大な芝生が広がっている空間
なぜか日本ではないような感じがした
 
それもそのはず
この土地は1867年に日本初の洋式競馬が行われた
横浜競馬場跡地で日本の洋式競馬発祥の場所なのだ

 

終戦後の1945年アメリカ軍により接収されて

米軍のゴルフ場として使われていたが

1969年に接収が解除されて

横浜市が無償で借り受けて整備し

1977年に根岸森林公園として開放されたそうだ

 

 

この公園
今は完全に日本のものである
はずなのだが
公園へ上る坂の入り口にはこんな看板がある
 

 
COMMANDER 
U.S. FLEET CTIVITIES YOKOSUKA
 
米海軍横須賀基地司令部
 
この土地の一部はいまだに米軍のものなのだ
 
確かに公園のあちら側には海軍軍人さんたちの住居が並んでいる
 
 
沖縄や横田の人々は
アメリカ軍の存在を日常的に意識しているであろう
しかし
東京や横浜で暮らしていると
日本にアメリカ軍が駐在しているという事実を忘れている
今回この看板を見て
日本の風景の中に
アメリカ軍の存在をあらためて確認した
 

 

 

 
私は横浜市港北区篠原町というところで育った
普通の住宅街だったが
隣接する地域に岸根というところがあり
そこにアメリカ軍の基地があった
 
そのことを意識することなく過ごしていた
 
ある日
高校の同級生男子から
一つの話を聞いた
 
彼は声を潜めて言った
 
すごく割のいいアルバイトがあるんだよ
岸根の基地でやるんだけど
それがね
ベトナムで戦死したアメリカ兵を
本国に送る前に
その遺体をきれいにととのえる仕事なんだ
一体で一万円くらいもらえるらしい
 
 
彼が実際にその仕事をしたとは思えないが
どこかからそんな話を聞いてきたのだろう
 
1967年ごろの一万円はかなりの額だった
 
この話はずっと忘れていた
しかし昨日アメリカ海軍の存在を感じたとき
60年前の同級生男子の話が急によみがえってきた
一万円という数字もクリアに覚えている
 
高校生の私がベトナム戦争の意味を
はっきり認識できていたとは思わないが
アメリカと日本との関係に
まだ言葉にされていないことがある
という思いはあれからずっと持ち続けてきた