ライフ

ファイナライズ

コーチ

くりちゃんです

 

終活の時期に始めた二拠点生活

横浜と軽井沢を行き来しつつ

人生(life)を

まとめ上げていく(finalize)

過程を実況中継しています

 

みなさまに

参加していただく場所を企画中

 

 

 

 

終活ブログだから自分の最期を思い描くことには抵抗はなかった

 

にもかかわらず一つだけ思考を停止していた分野があった

 

それは自分が死んだとき残される遺産についてである

 

 

長いこと働いて給料をもらってきた

研究という行為は楽しかったが

大学教員に課せられる”労働”の部分については

やりたくない仕事もあった

給料と退職金はそうした”労働”の正当な対価だと思っている

 

 

 

74歳の今

毎月の年金に加えて

ある程度の預貯金や株などの証券

そして

動産・不動産を持つことになった

 

 

 

 

子供のいない私が死んだら

こうしたものはどこへ行くのか?

 

 

 

 

 

老後資金を2,000万円ためろだとか

最近では4,000万円ためろだとか

こんな声が聞こえてくる

 

給料という収入源がなくなった後は

 

ひたすら使わないように

 

というマインドに追い込まれていく

 

 

 

 

 

 

そんな中

衝撃的な言葉に出会った

 

「ゼロで死ぬ」

(DIE WITH ZERO)

 

 

人生が終わるとき

資産をゼロにせよ

 

 

そんな~

 

年金でかつかつな生活をしているから

生きている間のお金さえ足りなくなるのでは

と心細いのに~

 

 

 

というブーイングが聞こえてくる

 

しかし

本当にそうだろうか?

 

ベストセラーになっているこの本は

確かに1億2,000万ドル資産を持つヘッジファンドマネージャーが書いている

 

お金があるからそんなこと言っているのでしょう?

 

とつっこむことはできる

 

しかし、彼が言うことは

われわれ全員にもあてはまるところがある

 

問われていることは次のことだ

 

 

 

お金と何とを交換したいのか

死ぬまでにお金の対価として

あなたは

何が欲しいのか

 

 

 

この問いに向き合う必要性を

終活に入ると

われわれは突き付けらるのだ

 

 

 

 

次の問いに

答えてください
 
 
老後にお金が必要だとして
何と交換するために
お金が必要ですか?
衣ですか?
食ですか?
住ですか?
老人ホームに入る費用ですか?
医療費ですか?
 
 
著者ビル・パーキンスの答えはこのどれでもない
次の投稿で紹介しようと思う