クラシック音楽に親しんで育ってきた

 

1960年代にさっそうと現れ

”世界的指揮者”となっていった

Seiji Ozawaという人をずっと追い続けてきた

 

1959年ブザンソン指揮者コンクール優勝のときは9歳だったので記憶にはないが

その後の世界進出の様子

帰国して振ったNHK交響楽団でボイコットされ日本を去った様子

ボストン交響楽団音楽監督として三十年間君臨しつづけた様子

などなどを見てきた

 
長身の西洋人指揮者は足が長い
日本人体形の小澤は
腰の位置が低く下半身が安定しているように見える
武道の動きのような
小澤のパフォーマンスが好きだった
 
アメリカで暮らすようになり
夏になるとタングルウッド音楽祭を心待ちにした
 
ボストン交響楽団の夏の滞在地
マサチューセッツ州西部に広がるバークシャーの丘に
レノックスという街がある
 
私はアメリカの軽井沢と呼んでいた
 
マサチューセッツ州の隣の州
コネティカット州海沿いの街
ニューヘブンで暮らしていたので
夏になると国道63号線を北上し
レノックス郊外にある
タングルウッド
毎週のように通った
 
 
 
タングルウッド Tanglewood
ボストン交響楽団の夏の避暑地
世界的な演奏家たちが集まってくる
 
ヨー・ヨー・マが私の一列前の客席でコンサートを聞いていたこともある
美しい夫人と一緒だった
 
レナード・バーンスタインがピンクのジャケットを着てオープンリハーサルに現れたこともある
彼が亡くなる半年前だった
 
小澤征爾はそうした音楽的祝祭空間の主だった
 
***
 
今でも
日本にいても
毎年6月になると
夏のTanglewood Music Festivalのプログラムにアクセスしてしまう
 
 
Tanglewoodとは
私のアメリカ生活の中の
なつかしくも輝かしいアイコンだ
 
 
 
***
 
 

1985年に作られたOZAWAは50分あまりのドキュメンタリー

今では手に入りにくくなっているらしい

私はこのDVDを繰り返し繰り返し見た

 

 

冒頭の場面はタングルウッドに向かう小澤征爾が車を運転しながら話す場面

最後はシェッドとよばれるタングルウッド屋外コンサート会場での

マーラー交響曲第二番「復活」で幕を閉じている