日常の変化に気づきませんか

というカテゴリーに以前、一つの投稿をした。

 

 

 

 

というアイテムが気づかぬうちに日常に入り込んでいるのではないかという問いかけをした。

 

高齢者だけでなく、中年の人、ときには若者に入るであろう人が杖を使っている光景を目にするのだ。

 

視覚の中にゆっくり訪れた杖人口の増加。

 

 

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聴覚の中にいつの間にか日常に入り込んできたがある。

 

 

 

救急車のサイレン

 

 

 

世田谷のマンションにいると昼夜の区別なく、100メートル離れている淡島通りを通過する救急車のサイレンが響いてくる。

 

東邦大学大橋病院は救急指定病院だ。そこへ向かう救急車が淡島通りを通るのだろうが、それにしてもこの音を耳にする回数が増えた。

 

軽井沢千ヶ滝でも、ときおり遠くから救急車のサイレンが聞こえてくる。一区画300坪の別荘地だ。人口密度でいったら都心の何百分の一であろう。そんな中、遠くで響くサイレンの音。

 

 

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本来は日常と対極にある非日常の非常事態を知らせる救急車のサイレンの音。

 

毎日耳にしているとそれが日常生活のありふれた雑音の一つとなる。

 

 

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50年近く前、初めてアメリカに行った。サンフランシスコの街中のホテルに泊まったときの一番強い印象。

 

なんでこんなに救急車のサイレンが鳴り続けているのだ?

 

初めての異国での緊張が、ホテルの窓の下を通過する救急車のサイレンによって増幅されて寝付かれなかった。

 

当時、サイレンの音は非日常の世界のもの、緊急事態を知らせる音であった。

 

 

 

いつのころからだろうか?

 

本来、非日常の音であった救急車のサイレンが

あまりにたびたび響くようになって、

われわれは、

緊急事態に対して心を緊張させる機能のスイッチをオフにするようになった。

 

 

 

 

誰かが生死をさまよっていることを知らせる音に

いつのまにか無頓着になっている。

 

救急車のサイレンの音は日常の中に溶け込んでいる。