東急東横線の妙蓮寺駅から数分のところで私は産まれ育った。
住所は横浜市港北区篠原東町。現在も、本籍はそこに置いている。
小さいときから東横線中心の世界が広がっていて、終点である渋谷駅と桜木町駅はゆかしい駅だった。
中学校にあがり、渋谷から徒歩12,3分にある青山学院中等部に通学することになった。以来、渋谷駅は私の軸となる空間であった。
東横線を下車してホームの一番前までいって改札を出る。
右横にあるのは”掲示板”。
待ち合わせは「掲示板前で」というのが当時の慣例だった。
右手にのびる”渡り廊下”を歩きながら、東急文化会館の壁にかかる映画の巨大看板を眺めていた。
『シャレード』のオードリー・ヘップバーン
『北京の55日』チャールトン・ヘストン
『シェルブールの雨傘』カトリーヌ・ドヌーブ
旅行から帰ってきて、渋谷駅の東横線ホームに立つと、ほっとしたものだった。
2004年2月「みなとみらい線」との相互直通運転で桜木町が終点ではなくなった。
ある日、東横線ホームがなくなるというニュース。夕方、わざわざ渋谷駅へ最後の姿を見に行った。
今、東横線ホームは地下にもぐり、迷路のような地下道を通って改札を抜け、さらにエレベーターで降りたところに沈んでしまった。
東横線ホームと東急デパート入り口、山手線への階段、そして東急文化会館への渡り廊下。すべての空間があわさる中二階の空間の雑踏がなつかしい。
今の東横線渋谷駅。地下へ何十メートルも潜って到着する。
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下方がとがった楕円形の壁。東横線の線路とバスターミナルとの仕切りとして毎日ホームから眺めていたあの形。
今はストリームへいく渡り廊下に再現されている。にくい計らいだ。