四十年あまり、大学の教員として働いた。
文学部英米文学科に所属していたので、アメリカ文学文化についての講義とゼミを担当した。
ゼミについては毎年20人ほどの学生と一つのテーマを追求し、卒論指導を行った。一種の学問共同体だ。
4年生で卒論を書き、所定の単位を修得したゼミの教え子たちは大学を卒業して社会へ出ていった。二十数年の教員歴なので、私のゼミの卒業生は数百人になる。
そんな中、大学院へ進み研究をつづけて私と同じ道に入った教え子たちがいる。
年齢も性別もさまざまながら、そこには研究者共同体が形成されている。
今や、
彼らは
<教え子>から
私の大切な<研究者仲間(colleague同僚)>
となっている。
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九月始めに二泊三日の " 合宿 " を行うのが年中行事となっている。
今年も9月6日(水)の午後1時から9月8日(金)の正午までの約48時間
八人の参加者と私は、軽井沢の私の山荘で衣食住を共にした。
大学あるいは工業高等専門学校(通称高専)の准教授と専任講師たち。
いくつかの大学で授業を持っている非常勤講師たち。
修士論文を書いている大学院博士前期課程の大学院生。
それぞれがそれぞれの場所で生きている時間の中で、
この三日間だけは、同じ空間で同じものを食べ、
研究という同じ話題を中心として交流する。
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軽井沢では人から「先生」と呼ばれることを拒否して「ミチコさんと呼んでください」とお願いしている。
しかし、この二泊三日の間だけは、私の山荘で「先生」という言葉が響く。
彼らとは、二十歳のころ私のゼミに入ったとき知り合った。卒業論文、大学院博士前期課程進学、修士論文、博士後期課程進学、学会発表デビュー、博士論文執筆、専任職への応募や就職。
それぞれの場面で私は「先生」として彼らの研究者人生に大きくかかわってきた。
しかし、それは「先生として指導する」というより「教え子とともに彼ら/彼女らの研究者人生を共に作ってゆく」という楽しい作業をさせてもらったと言った方がよいかもしれない。
最初の教え子と出会ってからすでに二十数年がたつ。
そして、今、
研究者仲間として
同じ時間、同じ空間、同じ食べ物を共有している。
私の人生の果実は豊かに実っている。