ズーム画面の向こうにいるのは今年99歳のTさん。
農業経済学者として大学教授をつとめ多くの業績も残している。
大正十三年生まれ。
昭和二十五年生まれの私にとって、亡くなった父と同世代である。
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9月3日(日)の午後、代沢九条の会の集まりで、彼に戦争体験を話してもらった。
太平洋戦争開戦時、大学生であったTさんは神宮外苑で学徒出陣を体験。
ただし、このときは先輩を見送りにいったとのこと。
ほどなくTさんのもとに徴兵検査の知らせが届く。
何としても兵隊には行きたくなかった。
国家全体が戦争へ向かう中、はっきりこのように意識していたことは、今からみるとすごい意志力だったのだろうと思う。
一週間前くらいから下剤を飲み続け、
その空き瓶を北澤八幡神社の竹やぶに捨てにいった。
聞いている私には、妙にリアルな情景だ。
結果は乙種合格。
本人は足に障害があることから不合格を願っていたというが、兵隊不足の状況での判定だったのだろう。
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Tさんが日本軍に入ったのは1945年8月のこと。まさに終戦の月だった。
幹部候補生として小平に配属され、広島の船舶司令部へ行けとの指令を受ける。
8月6日東京駅で広島往きの列車を待った。
しかし列車はこなかった。
広島でどんなことが起こったのかをTさんは知る由もなかった。
NHKアーカイブで証言しているTさん (2016年の番組)
やっとのことで広島に着いたのは8月12日。
そこで彼がみたのは ”新型爆弾” が投下された後の惨状だった。
傷を負っていない人までもが十日くらい経って発熱・下痢の症状がでてみるみる弱って死んでいく様子をただ目撃していたとTさんは語る。
当時の記憶の中で今も強烈に残っているのは
町中に充満する何とも言えない臭いだった。
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戦争を生き延びた99歳のTさんの証言の中で、最も強く響いた言葉。それは以下のものだった。
防空壕の中で東大農学部の仲間の一人が
「終戦は近いよ。日本軍は負けるから」と教えてくれた。
彼の父親は貴族院議員だったので情報を持っていたのだ。
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どんなときも国民には情報が隠されている。
いや、真逆の情報が与えられている。
Tさんは、闇の中で出会ったこの一筋の情報を得て、生き延びる決意を固めたのかもしれない。
2023年の今、コロナだワクチンだと情報はあふれるように届いてくる。
そんな中、Tさんが得たような隠された情報に出会う術は、
ネットというテクノロジーのおかげで我々に与えられている。