慈悲の瞑想をして最初の日、私は号泣してしまいました。

以前もやったことはあって、いいものだなと思ってはいました。

でも、今回は、自分のことを祈るところで泣けました。

 

私が幸せでありますように。

私の悩み苦しみがなくなりますように。

私の願い事が叶いますように。

私が幸せでありますように。

 

そうか、いいんだと思いました。

私は幸せになっていい。

苦しくなくていい。

願って、叶ってもいい。

 

これは不思議な感覚で、自分について自分で祈ると、

自分の我意識が淡くなっていきます。

祈るほど、自分は生きとし生けるものの一つで、

世界?宇宙?神様?のような存在から

そうやって祈られていると感じてしまいます。

 

今も書いてて、ジーンとなっています。

この感覚が、自律神経を癒しているというか、

育てているというか、そんな気がします。

ソマティックエクスペリエンスのカウンセリングした時と

似たような体感です。

 

慈悲の瞑想は、もちろん全部が素晴らしく、

親しい人、嫌いな人、私を嫌う人、生きとし生けるものに

同じ祈りをするのも、素晴らしい感動を感じます。

 

でも今の私は、自分への祈りの部分に立ち止まって、

よくよく感じ、味わいたいと思います。

お腹や鳩尾のあたりが、じわーっとなって、涙が出ます。

 

そしたらね…

いわゆる、引き寄せっぽいことが起きました。

 

食べたいと思ってたものが食べられた。

スーパーに段ボールをもらいに行かなきゃと思ってたら、

家族が持ってきてくれた。

嫌いな人への祈りをしたら、その人から連絡が来た。

(これは困惑しちゃったけど、愛を持っていい距離を保てました)

 

それで、これはすごい!となったわけです。

癒しと許しと、引き寄せも働くのかと。

 

そこで二日目は、嫌で嫌でたまらない仕事に、

慈悲の瞑想を使ってみました。

(なんでそんな嫌な仕事をしてるかというと、

どこに転職したって、どうせあらゆる仕事が嫌だからです)

 

まず、家で慈悲の瞑想を一通りします。

一通りといっても、涙が出るくらいちゃんと感じます。

ネチネチが苦手な上司にも祈ります。

 

そしたら、家を出る時、

私(という存在)が嫌な思いをしませんように。

私(という存在)が大切にされますように。

と、私をもっと大きな目から見るみたいな感じで祈ります。

 

仕事中も、同じことをします。

今は、目の前の人のことを祈る場合ではなく、

自分の体勢を整えるために、

とにかく自分のことを祈ります。

 

そしたら、上司が優しかったです。

嫌なことは起きなかったし、

ラッキーなことが起きたくらいでした。

 

私は今まで、アッパー系の引き寄せをやってきました。

「なる」とか、108、エイブラハム、タフティ、などなど。

これらって、本物だけど、意志が必要です。

 

意志が保てない時もあります。私は。

なので、慈悲の瞑想で、もっともっと、

自分の傷に自分で気づき、手当をして初めて、

本当に人のことを祈れるようになると思いました。

 

私は人のことを祈るのは得意で、

よくみんなの幸せを祈って、素晴らしい気持ちになっていました。

でも、今回よくよく自分について祈ったら、

一番埋めなきゃいけないのはここだった、と気づきました。

 

どんどん埋めて、どんどん他の人に流れ出すように、

慈悲の瞑想を続けていきます。

無論、引き寄せの下心も持ちながらです。