わたしね、ちっちゃいころからかな。
よく言えば『素直』
悪く言えば『バカ正直』な人なの。
きっと今もそうだと思うよ
仲のいいお友達がいうこと、話す内容、いろいろあるよね。
ぜんぶ、『へえ~そうなんだ~~』って共感して聞いてしまう。
すっごくよくいえば、「共感能力が高い」ってことになるかな。
でもね、昔はそれをうまく使えなかったんだ。
大好きな友達が、違う友達と喧嘩とかして、わたしにその
愚痴をいう。
「へえ、そうなんだ。そういう人なんだね、あの人は」
わたしはそうやって、友達から聞いた内容で、人をジャッジ
し続けてきたの。
そしたら次の日から偏見の目でみるようになるよね。
あの人は大好きな友達を苦しめた人だって。
大学生の時、夢は小説家になることだったの。
そこでサークルを作って、一緒に刺激しあってがんばってた
仲間がいたよ。
卒業してからも続いて、わたしとAさんが一緒にいるときに、
AさんはBさんと一緒にいたときにいかに苦痛だったかを
わたしに言った。
わたしは、ああBさんって何でそんなことするんだろうって
思った。そして偏見の目でみるようになって、トラブルにも
なった。
そして時間が過ぎて、何かのすれ違いで(理由を聞いていないから
わからないけど)今度はAさんがわたしのことを嫌いになった。
理由を言わず、完全シャットアウトで離れるしかなった。
その時に気づいたの。
AさんはAさんの視点で周りとつきあってきただけなんだって。
Bさんの、何でそういうことするんだろうって思ったことが、
全部わたしに降り掛かってきて、初めて、
ああ、だからBさんはそうしたんだってことがわかった。
人を悪く言う人は、必ず自分のこともいつか悪く言うんだよね。
だって、注目するところが「悪い」ところなんだもん。
そりゃそうだよ。
そんな関係は子どもが幼稚園の時もあったよ。
でもわたしはこの時思った。
わたしは、人の目からみた他人というものは信じないようにしよう。
自分の目でみて、自分が接してみて、こうだと実感したことだけを
信じようって決めた。
他人の言葉を全部信じないようにしようって思ったわけじゃないよ~
人が誰かを悪く言うときって、必ず主観が入るから。
その人の目は、その人だけにとって真実なの。
わたしには関係ないんだ。
それからわたしは愚痴を聞く事があっても、共感することは
しなくなった。一時期は愚痴を聞くのも嫌で遠ざけていたけど、
誰だって愚痴言いたくなるときもあるし、自分だって聞いてもらった
ら楽になることいっぱいあったから。
遠ざけるのではなくて、共感しなければいいんだって気づいたの。
一緒になって負を増幅する聞き方はぜったいにしたくない。
そして自分の中にも入れない。
外に出してあげて、軽くなったらまた歩けるもんね。
(自分がいっぱいいっぱいの時、旦那さんに愚痴を言わせて
あげなかったことあった。そのせいでだいぶギクシャクしたかも。
自分の気もちがしっかりしてないと、共感してしまうんだよ~
だから遠ざけた。よく耐えてくれたなあ。旦那さんは結構
忍耐強いのかも)
今でも、自分がつきあって行く人たちの中にも一緒にいられない
人もいっぱいいるよ。離れて行く人も、
わかりあえないだろうなって人もいっぱいいるし、上手くコミュニ
ケーションできなくて、ニコニコ笑ってるしかできないわたしだけど、
この基本スタンスはきっとこれからも変わらないだろうなって思う。
どうせなら、人のいいところをみていたいね。
いいも悪いも全部ひっくるめて、その人をみたいね。
その人の向こう側にあるものをみればいいのかな。
上手く言えないけど・・・
わたしがつきあう人は自分で決めるよ(^^)
誰かのいう言葉じゃなくって、自分が感じたことで決める。
自分でえらんでいいんだよね。
今はね周りにステキな人いっぱいで、すれ違ってもすぐに修正も
できるし、悪い部分にフォーカスしていないから、自分の中にも
悪いものが入ってこないよ。
なんてありがたいことなんだろう。
でもこれは長年かかって、泣きながら掴んできたわたしの
大切な経験なんだなあって思った。
小さい頃、いじめられっこで、毎日泣かされてきた。
でも、少し大きくなって、いじめっこの立場も経験したんだ。
ふたつを比べてみて、どっちがいいかって思った時、
「悪口なんか言わないほうがいい」ってことだった。
(二択になってないがな
)
悪口言われたり仲間はずれになったり、その後もいっぱい
いっぱいあったけど、自分から発信することはやめたよ。
それでよかったんだって思う。
悪口に共感しないと、仲間はずれ~みたいなのあったでしょう?
特に女子のグループとかってね。大人になってもやってる人
いるよね。
もういいの。そんなんは卒業した、わたし。
だから今こうしていられるよ
もし何かの間違いでそう言う場所にいかされたとしても、
我慢なんてしなくていいんだよ。自分で選べるんだもん。
そう思えばわたしたちってもとから自由だね
苦しいこと今までいっぱいあったけど、どれも必要な
経験だったんだなって思っちゃうね。
だから、すべてのことに「ありがとう」なんだな~って
思ったよ(^^)
最近、昔話多いねわたし
笑って許してくで~~
よく言えば『素直』
悪く言えば『バカ正直』な人なの。
きっと今もそうだと思うよ

仲のいいお友達がいうこと、話す内容、いろいろあるよね。
ぜんぶ、『へえ~そうなんだ~~』って共感して聞いてしまう。
すっごくよくいえば、「共感能力が高い」ってことになるかな。
でもね、昔はそれをうまく使えなかったんだ。
大好きな友達が、違う友達と喧嘩とかして、わたしにその
愚痴をいう。
「へえ、そうなんだ。そういう人なんだね、あの人は」
わたしはそうやって、友達から聞いた内容で、人をジャッジ
し続けてきたの。
そしたら次の日から偏見の目でみるようになるよね。
あの人は大好きな友達を苦しめた人だって。
大学生の時、夢は小説家になることだったの。
そこでサークルを作って、一緒に刺激しあってがんばってた
仲間がいたよ。
卒業してからも続いて、わたしとAさんが一緒にいるときに、
AさんはBさんと一緒にいたときにいかに苦痛だったかを
わたしに言った。
わたしは、ああBさんって何でそんなことするんだろうって
思った。そして偏見の目でみるようになって、トラブルにも
なった。
そして時間が過ぎて、何かのすれ違いで(理由を聞いていないから
わからないけど)今度はAさんがわたしのことを嫌いになった。
理由を言わず、完全シャットアウトで離れるしかなった。
その時に気づいたの。
AさんはAさんの視点で周りとつきあってきただけなんだって。
Bさんの、何でそういうことするんだろうって思ったことが、
全部わたしに降り掛かってきて、初めて、
ああ、だからBさんはそうしたんだってことがわかった。
人を悪く言う人は、必ず自分のこともいつか悪く言うんだよね。
だって、注目するところが「悪い」ところなんだもん。
そりゃそうだよ。
そんな関係は子どもが幼稚園の時もあったよ。
でもわたしはこの時思った。
わたしは、人の目からみた他人というものは信じないようにしよう。
自分の目でみて、自分が接してみて、こうだと実感したことだけを
信じようって決めた。
他人の言葉を全部信じないようにしようって思ったわけじゃないよ~
人が誰かを悪く言うときって、必ず主観が入るから。
その人の目は、その人だけにとって真実なの。
わたしには関係ないんだ。
それからわたしは愚痴を聞く事があっても、共感することは
しなくなった。一時期は愚痴を聞くのも嫌で遠ざけていたけど、
誰だって愚痴言いたくなるときもあるし、自分だって聞いてもらった
ら楽になることいっぱいあったから。
遠ざけるのではなくて、共感しなければいいんだって気づいたの。
一緒になって負を増幅する聞き方はぜったいにしたくない。
そして自分の中にも入れない。
外に出してあげて、軽くなったらまた歩けるもんね。
(自分がいっぱいいっぱいの時、旦那さんに愚痴を言わせて
あげなかったことあった。そのせいでだいぶギクシャクしたかも。
自分の気もちがしっかりしてないと、共感してしまうんだよ~
だから遠ざけた。よく耐えてくれたなあ。旦那さんは結構
忍耐強いのかも)
今でも、自分がつきあって行く人たちの中にも一緒にいられない
人もいっぱいいるよ。離れて行く人も、
わかりあえないだろうなって人もいっぱいいるし、上手くコミュニ
ケーションできなくて、ニコニコ笑ってるしかできないわたしだけど、
この基本スタンスはきっとこれからも変わらないだろうなって思う。
どうせなら、人のいいところをみていたいね。
いいも悪いも全部ひっくるめて、その人をみたいね。
その人の向こう側にあるものをみればいいのかな。
上手く言えないけど・・・
わたしがつきあう人は自分で決めるよ(^^)
誰かのいう言葉じゃなくって、自分が感じたことで決める。
自分でえらんでいいんだよね。
今はね周りにステキな人いっぱいで、すれ違ってもすぐに修正も
できるし、悪い部分にフォーカスしていないから、自分の中にも
悪いものが入ってこないよ。
なんてありがたいことなんだろう。
でもこれは長年かかって、泣きながら掴んできたわたしの
大切な経験なんだなあって思った。
小さい頃、いじめられっこで、毎日泣かされてきた。
でも、少し大きくなって、いじめっこの立場も経験したんだ。
ふたつを比べてみて、どっちがいいかって思った時、
「悪口なんか言わないほうがいい」ってことだった。
(二択になってないがな

悪口言われたり仲間はずれになったり、その後もいっぱい
いっぱいあったけど、自分から発信することはやめたよ。
それでよかったんだって思う。
悪口に共感しないと、仲間はずれ~みたいなのあったでしょう?
特に女子のグループとかってね。大人になってもやってる人
いるよね。
もういいの。そんなんは卒業した、わたし。
だから今こうしていられるよ

もし何かの間違いでそう言う場所にいかされたとしても、
我慢なんてしなくていいんだよ。自分で選べるんだもん。
そう思えばわたしたちってもとから自由だね

苦しいこと今までいっぱいあったけど、どれも必要な
経験だったんだなって思っちゃうね。
だから、すべてのことに「ありがとう」なんだな~って
思ったよ(^^)
最近、昔話多いねわたし
笑って許してくで~~