昨日はいいお天気で、暑かったですね~
参観日&懇談会でまたもや学校に行ってました。
今日は一転して朝から雨です。
子供は今日からプールの授業だけど、
雨で中止になってくれ~って頼んでました。
水、こわ~いんだって(^^ゞ
お友達のまりちゃんのブログで、20代から30代に
かけてのお話が書いてあって、わたしもこの夏に
40代突入しちゃって、おまけにここら辺が
人生の大きな転機みたいなので、ちょっと
振り返ってみようかなって想いました。
20歳になったときは大学生でしたね。
18歳で大阪芸大の文芸学科というところに
入学しました。
その頃は文章を書いたりするのがとっても
好きで、小説とか詩や短歌をたくさん書いて
いました。
その頃はそうして作品を書くことが自分にとっての
自己表現でした。
中学高校と吹奏楽部に入っていて、音楽一色の
学生時代で、長期休みも毎日学校に行く生活でした。
クラリネットを希望して、最初はクラリネットを
していたのに、途中で楽器を持っていないという
理由で、サックスパートに移らされて、
アルトサックスを2年やりました。
高校に入ってからはクラリネットを無理言って
買ってもらい、3年間クラリネットを続けました。
部活は苦しかったり団体だったのでいろいろと
トラブルが多かったけど、音楽はホントに好き
だったので、ストレスはいっぱいあったけど、
好きだからこそ、6年間も続けられたんだな~って
今しみじみ想います。
嫌なこともつらいことも、いっぱいあったけど、
いろんなことを学ばせていただきました。
高校を卒業する前に、その部活で長いこと一緒に
してきたすごく仲良しだった友達から、陰口を言われて
除け者にされてしまい、最後はずっとひとりぼっちでした。
クラスには仲良くしてくれる友達もいたから、本当の
ひとりぼっちではなかったけど(その子は田舎に行くと
いつも会ってくれて遊んでくれるなが~い友達になったよ)
とってもつらかったです。
6年間続けた部活の最後が、淋しい記憶になってしまいました。
大学に入った時、周りは知らない人ばかりです。
でもね、
もう学生時代のように、仲良しでグループになってくれる人を
探して、まとまってるのは嫌だなって想ってね、必死で友達を
作ろうって想わないでいようって決めたの。
そしたら、不思議なことに、必死で仲間を探してるんじゃない
のに、入学式にも違う学科で同じ高校の子が一緒に行こうって
誘ってくれたり、自分の学科でのガイダンスなどの時にも
どんどん友達が自然に増えていったの。
一人でもいいやって想っていったら、友達が一杯になったよ!
芸大だから、みんなねすっごく個性的で、刺激に満ちた
大学生活だったよ。個性ありすぎて衝突とかもあったけど、
やっぱり面白い人たちばっかりでした。
まあ、そのうちみんな学校に来なくなって、誰にも会わずに
家に帰る日とかもあったけど、文学についての勉強も楽しかった
し、語学(中国語)で大好きな先生に出会ったり、仲良く
してもらったり、学校行くのも楽しかった。
4年で卒業制作に長編の小説を書いて提出したら、
学科長賞っていうのをもらったよ。とってもうれしかったな。
学科で作ってる雑誌にも載せてもらったりして。
将来は小説家になりたいって想ってた。
その前は音楽家になりたくてね、本当は芸大じゃなくて
音大にいきたかったの。でもピアノ習ってなくて、
音大はピアノ必須だからね、あきらめた。
なんでうちは貧乏でお金ないんだろう、とか、
親を責めたっけな・・・
小説なら、お金なくても自分の力だけでできるって
想ったよ。
4年になったら就職活動をしたよ。
家を出て一人暮らしをしたかったので、地元じゃなくて
わざと遠くの大阪方面の会社ばっかり探してた。
何回も面接おっこちて、おっこちるたびに、
「お前なんかいらない」って言われてるようで、
こたえたな・・・
最後の最後に決まった東大阪の文具の卸会社に
入ったよ。
文具のカタログを作ってもらいます、っていうことで
決めたのに、カタログなんて全部外部発注で、そんな
仕事はじめっからなかったんだ(ノ´▽`)ノ
伝票整理の仕事で、なかなか覚えられなくて、すごく
周りに迷惑をかけて、先輩にもひどく迷惑かけて
ボロボロでした。
でも念願の一人暮らしはできたよ。自分のお給料で
家賃を払って、買い物して作って・・・
最初はとっても心細かったけどね。
住んでいた場所は地下鉄緑橋駅のすぐそばで、
商店街や市場、銭湯なんかも近くにあって、
いろいろ楽しんで生活しました。
一人暮らし&会社員生活も1年半で終わり。
今想えば、1年半すごい短いね。
でもその時はすっごい長く感じたよ。
東京の友達のところに遊びに行ったときに、
友達の旦那さんのお友達ということで
出会ったのが今のわたしの旦那さんです。
最初はおちゃらけた人だな~大丈夫か?コイツ・・・
みたいな印象でしたが、
子供みたいに無邪気な人で、楽しかったです。
遠距離恋愛みたいな感じで1年くらいを過ごして、
結婚が決まりました。
結婚したのが24歳だったかな。
まだおこちゃまですね(*^o^*)
ここら辺も今から想えば転機だったな~って。
一人暮らしの大阪から一旦実家に戻って、
それから東京に引っ越しました。
東京方面にはお友達も結構たくさんいたから、
引っ越すのは嫌ではなかったです。
両親にはすぐに会えない距離なのだけどね。
20代前半って結構バタバタしていた感じが
するけど、後半は一転してすごくまったりとした
時間を過ごさせてもらいました。
なんか長くなっちゃいましたね。
20代後半はのんびりまったりな時期で、
癒しの場にであったり、活動したり、アロマや
気功、リフレなどを習ったりしました。
30代に入ったら、子供です。
続きはまた今度書きますね。
読んでくださってありがとうございました。
つまんなかったらごめんね。
しとしと雨もいいですね。
いろんなものを浄化してくれる、癒しの雨。
今日もみんなに癒しの雨が降りそそぎ、いらないものを
浄化してピカピカな心になりますように

参観日&懇談会でまたもや学校に行ってました。
今日は一転して朝から雨です。
子供は今日からプールの授業だけど、
雨で中止になってくれ~って頼んでました。
水、こわ~いんだって(^^ゞ
お友達のまりちゃんのブログで、20代から30代に
かけてのお話が書いてあって、わたしもこの夏に
40代突入しちゃって、おまけにここら辺が
人生の大きな転機みたいなので、ちょっと
振り返ってみようかなって想いました。
20歳になったときは大学生でしたね。
18歳で大阪芸大の文芸学科というところに
入学しました。
その頃は文章を書いたりするのがとっても
好きで、小説とか詩や短歌をたくさん書いて
いました。
その頃はそうして作品を書くことが自分にとっての
自己表現でした。
中学高校と吹奏楽部に入っていて、音楽一色の
学生時代で、長期休みも毎日学校に行く生活でした。
クラリネットを希望して、最初はクラリネットを
していたのに、途中で楽器を持っていないという
理由で、サックスパートに移らされて、
アルトサックスを2年やりました。
高校に入ってからはクラリネットを無理言って
買ってもらい、3年間クラリネットを続けました。
部活は苦しかったり団体だったのでいろいろと
トラブルが多かったけど、音楽はホントに好き
だったので、ストレスはいっぱいあったけど、
好きだからこそ、6年間も続けられたんだな~って
今しみじみ想います。
嫌なこともつらいことも、いっぱいあったけど、
いろんなことを学ばせていただきました。
高校を卒業する前に、その部活で長いこと一緒に
してきたすごく仲良しだった友達から、陰口を言われて
除け者にされてしまい、最後はずっとひとりぼっちでした。
クラスには仲良くしてくれる友達もいたから、本当の
ひとりぼっちではなかったけど(その子は田舎に行くと
いつも会ってくれて遊んでくれるなが~い友達になったよ)
とってもつらかったです。
6年間続けた部活の最後が、淋しい記憶になってしまいました。
大学に入った時、周りは知らない人ばかりです。
でもね、
もう学生時代のように、仲良しでグループになってくれる人を
探して、まとまってるのは嫌だなって想ってね、必死で友達を
作ろうって想わないでいようって決めたの。
そしたら、不思議なことに、必死で仲間を探してるんじゃない
のに、入学式にも違う学科で同じ高校の子が一緒に行こうって
誘ってくれたり、自分の学科でのガイダンスなどの時にも
どんどん友達が自然に増えていったの。
一人でもいいやって想っていったら、友達が一杯になったよ!
芸大だから、みんなねすっごく個性的で、刺激に満ちた
大学生活だったよ。個性ありすぎて衝突とかもあったけど、
やっぱり面白い人たちばっかりでした。
まあ、そのうちみんな学校に来なくなって、誰にも会わずに
家に帰る日とかもあったけど、文学についての勉強も楽しかった
し、語学(中国語)で大好きな先生に出会ったり、仲良く
してもらったり、学校行くのも楽しかった。
4年で卒業制作に長編の小説を書いて提出したら、
学科長賞っていうのをもらったよ。とってもうれしかったな。
学科で作ってる雑誌にも載せてもらったりして。
将来は小説家になりたいって想ってた。
その前は音楽家になりたくてね、本当は芸大じゃなくて
音大にいきたかったの。でもピアノ習ってなくて、
音大はピアノ必須だからね、あきらめた。
なんでうちは貧乏でお金ないんだろう、とか、
親を責めたっけな・・・
小説なら、お金なくても自分の力だけでできるって
想ったよ。
4年になったら就職活動をしたよ。
家を出て一人暮らしをしたかったので、地元じゃなくて
わざと遠くの大阪方面の会社ばっかり探してた。
何回も面接おっこちて、おっこちるたびに、
「お前なんかいらない」って言われてるようで、
こたえたな・・・
最後の最後に決まった東大阪の文具の卸会社に
入ったよ。
文具のカタログを作ってもらいます、っていうことで
決めたのに、カタログなんて全部外部発注で、そんな
仕事はじめっからなかったんだ(ノ´▽`)ノ
伝票整理の仕事で、なかなか覚えられなくて、すごく
周りに迷惑をかけて、先輩にもひどく迷惑かけて
ボロボロでした。
でも念願の一人暮らしはできたよ。自分のお給料で
家賃を払って、買い物して作って・・・
最初はとっても心細かったけどね。
住んでいた場所は地下鉄緑橋駅のすぐそばで、
商店街や市場、銭湯なんかも近くにあって、
いろいろ楽しんで生活しました。
一人暮らし&会社員生活も1年半で終わり。
今想えば、1年半すごい短いね。
でもその時はすっごい長く感じたよ。
東京の友達のところに遊びに行ったときに、
友達の旦那さんのお友達ということで
出会ったのが今のわたしの旦那さんです。
最初はおちゃらけた人だな~大丈夫か?コイツ・・・
みたいな印象でしたが、
子供みたいに無邪気な人で、楽しかったです。
遠距離恋愛みたいな感じで1年くらいを過ごして、
結婚が決まりました。
結婚したのが24歳だったかな。
まだおこちゃまですね(*^o^*)
ここら辺も今から想えば転機だったな~って。
一人暮らしの大阪から一旦実家に戻って、
それから東京に引っ越しました。
東京方面にはお友達も結構たくさんいたから、
引っ越すのは嫌ではなかったです。
両親にはすぐに会えない距離なのだけどね。
20代前半って結構バタバタしていた感じが
するけど、後半は一転してすごくまったりとした
時間を過ごさせてもらいました。
なんか長くなっちゃいましたね。
20代後半はのんびりまったりな時期で、
癒しの場にであったり、活動したり、アロマや
気功、リフレなどを習ったりしました。
30代に入ったら、子供です。
続きはまた今度書きますね。
読んでくださってありがとうございました。
つまんなかったらごめんね。
しとしと雨もいいですね。
いろんなものを浄化してくれる、癒しの雨。
今日もみんなに癒しの雨が降りそそぎ、いらないものを
浄化してピカピカな心になりますように
