こんにちは。
mizukiです
中学3年生 支援級在籍
軽度知的障害(IQ50〜69)
ケーくんと、
姉のネー子、パパとの静かな日常
を書いています
ケーくんは、
中1の秋から不登校気味。
躁うつ症状に悩まされながらも
成長を見守っています。
カウンセラーさんとの面談の後、
「チャレンジの場」という言葉
「成長を待ってみる」という言葉
もう一度、考えていた。
一見すると合理的で
前向きな提案にも聞こえる。
でも…
裏を返せば、
「学校という決められた環境で努力してほしい」
「それができないなら仕方ない」
そう、言われている気もした。
じゃあ、与えられている環境に
適応できない子どもは…?
腹痛で登校できない
そんな時に、
小児科の医師に
診察の度に言われた言葉が
思い出された。
「こういう子が安心して学べるように
環境を整えること!
ちゃんと考えて
整えてやらないといけないよ。」
私は、
今の学校の枠組みのまま
騙し騙しでも頑張って
卒業を迎えることが、
ケータにとって良いことなのか
再度、じっくりと考えた。
それは限界だと
何度も感じたからこその、
今の行動だ。
そして
これまでの学校の対応を振り返った。
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ケータの不登校が始まった頃、
ケータの不登校が始まった頃、
担任の先生はとても協力的に見えた。
「何かあればすぐに相談してくださいね」
「できることは協力します」
そう言ってくれて、
連絡帳でもやりとりを続けていた。
でも、何度か深刻なやりとりを重ねるうちに、
少しずつ違和感が募っていった。
先生からの報告は、
いつも同じだった。
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「特に問題なく過ごしています」
「特に問題なく過ごしています」
「普通にしていました」
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でも、それは本当なのだろうか?
ケータは毎日のように、
学校から帰ると
「嫌だった」
「苦しかった」
という気持ちを抱えていた。
落ち込んだり、イライラしたり。
ときには突然、以前の出来事を思い出して
気持ちが乱れることがあった。
確かに「何か」 があった。
そのことを先生に伝えても、
返ってくる答えは変わらない。
酷い妄想混乱状態で
下校時に行方不明になり、
店舗へ侵入してしまったときも
そうだった 。
「教室では特に問題はなかった」
「自分が見ている時は分からなかった」
私が状況の確認を求めると、
先生の態度は徐々に変わっていった。
登校しない日が続くと電話もなくなり、
たまの事務連絡でも、
先生はケータと話すことは
一度もなかった。
ケータも学校から
気持ちが離れていった。
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「大丈夫でした」
「特に問題なかったですよ」
「大丈夫でした」
「特に問題なかったですよ」
それなら、
なぜケータは学校を嫌がるのか。
何が「大丈夫」だったのか
誰にとっての「問題」がなかったなのか
学校は本当に
ケータに必要な支援を
しているのだろうか?
そうして、あの参観日だ。
答えは出ていたんだ。
後は、
私が行動するだけだ。
私は次に、
より専門家へ
相談することにしました。
ここらへんから…
今までは
「大して何も言ってこなかった保護者」
から
「学校にとって厄介なモンペ」
になっていきます。
続きます。
まぁ、ボチボチいこう