こんにちは。
mizukiです
中学3年生 支援級在籍
軽度知的障害(IQ50〜69)
ケーくんと、
姉のネー子、パパとの静かな日常
を書いています
ケーくんは、
中1の秋から不登校気味。
躁うつ症状に悩まされながらも
成長を見守っています。
小学校入学前から
ずっと考えてきたこと。
『教育とは何なのか』
ケータは幼少から
たくさん描きなぐっていたけど
文字は覚えても
思うように扱えなかった。
小学生になると
日記や作文の宿題が出る。
いざ書こうとすると、手が止まって
一行日記でさえ、全く進まない。
「じゃあねケーくん、
さっき見たことママにお話して?」
ニコニコしながら
勢いよく話し始める。

「あのね!電車がガタンゴトーンてきてさ、プシューてドアがあいて、しゃしょーさんがドアしまりまーす!てね!」
「すごい臨場感だね〜。見たときどう思った?かっこよかった?」

「ちょ~かっこいい!ぼく、しゃしょうさんになるんだ!あれは〇〇線だよ!新型の!」
「そんなの分かるんだ、すごいのね。
じゃあ、
作文風に言ってみようか。」


「うーんと、電車がきました…。
しゃしょーさんがぁ…??」
(もう忘れた)
一緒に確認しながら
気持ちを文にしていく。
書き写すときも、
何度も文字が抜けたり、
濁点を忘れたり、
カタカナと混ざったり…。
それでも
一所懸命に書き上げる
その姿が、
愛おしくて、もどかしくて。
『学問とは何なのか』
何度やっても
数の理解ができないことが
分かったとき。
10+1=11
10+2=12
「じゃあ、これはなんだと思う?」
10+3=?

「えー?んー、30?
(人の顔を見て、数字を見て)
あ、103?」
「チンプンカンプン」
という言葉がぴったりな反応。
それでも、毎回ニコニコしながら
繰り返す。
5歳からずっと、数ブロックを使ってきた。
もう10年近くになる。
それでも
100のシートにはまだたどり着かない。
何度も考えた。
この子には、何が必要なのか。
通級を利用した時も
支援級に転籍した時も
塾に入会した時も
なぜ、それをさせるのか
何のために、させるのか
どこを目指しているのか
常に、
決定する立場である親として
自分自身に問い続けてきたと
思います。
たくさんの本を読み、たくさん調べた。
講演会に参加して、專門の先生方と話した。
そして
たくさん試してきた。
その結果
私が出した答えは、
基礎学力
と
学校生活
は
ケータの性格や
生きる環境において
大きな助けとなり、
力になる。
あの子が、
知りたいこと
やりたいこと
なりたい自分
それに近づくには、
みんなと一緒に過ごしていくのがいい。
優しい保育園のような環境の中で、
支えながら、成長していくのがいい。
小3で籍を支援級に移すときに
わたしは、
そう決意していたはず。
パパとも、祖父母とも、
通級の先生とも
教育センターや療育センター、
親身になって考えてくれる人たちと
たくさん話して、
「ケータには、そうしよう。」
そう決めて
ここまで進んできた。
『学ぶこと』は、
ただ知識を得るのではなく、
あの子が生きやすくなるためにある。
ケータにとっての
『教育』とは、
ケータがより生きやすくなるためにあり、
ケータが自分らしく表現できるためであり、
そして何より、
一緒に歩む家族が
ともに笑顔で暮らしていくためでもある。
学ぶことで、彼自身が
この世界で生きやすくなるのはもちろん、
家族や周囲の人との関係もスムーズになり、
お互いに無理なく支え合えるようになる。
言葉で気持ちを伝えられるようになれば、
誤解や衝突が減る。
生活の中で自然にできることが増えれば、
助け合いのバランスが変わる。
人は集団の中で生きるからこそ、
学ぶことは
「自分のため」だけでなく、
「ともに生きるため」にも、
そして、
「愛し愛されるため」にも、
必要なこと。
そのための大切な『手段』なのだと、
わたしはそう、思っている。
続きます。
気長にいこう



