後醍醐天皇には多くの皇子がおりました。
その第八皇子に懐良親王(かねながしんのう1329年ー1381年)がおられます。
後醍醐天皇が吉野に南朝を開いた時、各地に皇子を遣わして覇を為されようとされたひとりで、九州方面を担当するべく征西将軍宮として派遣されましたが、すぐには九州に上陸出来ず、数年掛かってやっと鹿児島に上陸出来たのでした。
鹿児島市内にある碑。この地域は御所町という
その後、北上しながら各地を転戦し、20年後の1361年には太宰府を制圧し、九州統一を為した南朝最強の皇子と言われておりました。
また、当時の中国王朝である明からは日本国王として認知されていました。
その懐良親王の宮内庁指定陵墓が八代にあるのです!
参拝しようと、陵墓の門まで歩いて行くと、ん??門が開いている?
あたりを見回しても誰もおりません。
ひとまずそっと中に入れさせてもらって、陵墓の直近で参拝させていただきました😆
誰も歩いて無さげな苔むした石畳
墳墓が目の前🫡
参拝が終わり、門を出ると、向こうの方に掃除をしていた職員さんがいたので、軽く挨拶しておきました😊
右手には勅使が降りてくる道も残り、歴史を感じます。
八代には懐良親王の足跡が各地に残り、あの霊符版を全国に広めたのも懐良親王だと書いてあり、この出会いにビックリしています。
そして、八代城址が宮になっているので、そこにも参拝すると、そこの主祭神も懐良親王で、またまたビックリ🤣🤣
後醍醐天皇を追いかけて鹿児島から八代まで来てみました😊
つづく