読んだり書いたりしていて気づいた細か~い話 | 日本語あれこれ研究室

日本語あれこれ研究室

日常生活の日本語やメディアなどで接する日本語に関して、感じることを気ままに書いていきます

 

とある小説を読んでいたら、クライマックスに近い箇所にこんな記述。「このままでじゃ、先に進めない」

 多分著者が、初めは「このままでは」と書いてから「このままじゃ」に直したが、「で」の字を消し忘れて、それがそのままゲラになって校閲も見逃してしまって本になってしまったのではないか。と推察する。

 感動的なシーンだったので、膝カックンをくらったような気分になった。まさに、「空気のように誤植はある」(確か岩波書店の創業者の言葉だったような……)。

 

とあるアニメの脚本を執筆中で、その主人公の名前に「(すみれ)」の漢字が入っている。ところが何話分も書いた後で、「菫」の字が全部「」(骨董の董)になっていることが原作者の指摘によって発覚。「菫」と「董」なんて小さい文字では違いに気づかないので、最初に変換した「董」をずっとそのまま使っていたようだ。

 修正は一括変換なので大したことないが、問題はなぜWordの辞書にすみれと読まない「董」が入っているのかということ。

 調べてみると、Wordで「すみれ」を変換する場合、1文字の漢字として(すみれ)・(とう)・(かおる)」の3文字が搭載されている。これは何? 董(とう)も薫(かおる)も絶対に「すみれ」とは読まないのに。漢字の字体を間違って覚えている人に配慮して似てる文字も載せているとか? そんな馬鹿な。

 こういう余計なことは、是非ともやめてほしい。

 

とあるラーメン屋で、ラーメンに50円プラスするだけでワンタン麵になることが分かり「しめしめ」と思った、ということを『サクランボの丸かじり』の中で東海林さだおが書いている。さらに東海林は、「しめしめは物事がうまく行ったときに使う用語であるが、その物事の規模は小さくて貧弱な場合が多い」と続ける。

 確かにそうだとおれは思い、さらに、「しめた」と「しまった」という対になった言葉があるが、これはいったい何が「閉まった」のであろうかと考えた。自分が閉めたのなら成功で、相手が閉めたのなら失敗という「何か」が閉まったのだと。

 ところが広辞苑を引くと、「しめた」の漢字は「占めた」で、「しまった」の漢字は「仕舞った」とされている。「しめた」が「占めた」だとすると、その自動詞は「しまった」ではなくて「占められた」だということになってしまう。

 つまり「しめた」と「しまった」とは対になった言葉ではなくて別の動詞だったということになっているではないか。この点を広辞苑はどのように認識しているのであろうか? この問題は今後とも研究せねばならないな。