〝かさね〟という女性名 | 日本語あれこれ研究室

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日常生活の日本語やメディアなどで接する日本語に関して、感じることを気ままに書いていきます

 

 

 唐沢俊一氏の先月のツイートが気になっているので取り上げてみる。

 毎日新聞社の〝中村かさね〟という名前の記者を取り上げたネットニュースの画像を引用して、唐沢氏はツイッターに次のように書いている。

     

カラサワ @cxp02120

本人に罪はないけど、「かさね」って名前は凄いな。子供に「お岩」ってつけるみたいなものだぞ。南北の歌舞伎も円朝の怪談噺ももう日本人の基礎教養から外れてしまったのかねえ。

     *

 

 つまりは、この実在の女性記者のファーストネームを批判しているのである。

〝かさね〟なんて名付けはあり得ない。まあ本人には罪はないが、親には罪がある。……と言っているわけである。

子供に「お岩」ってつけるみたいなもの、という例えも無理やりだ。〝お岩〟なんてつける親はいない。お岩さんは愛称であり、名前は〝岩〟だから。

 

 呉智英の『言葉につける薬』(双葉社)に載っている「未希子さん、読まないで」というエッセイも名付けの漢字に疑問を呈する内容だが、呉氏のほうがまだ思いやりがある。

 なぜ唐沢氏は他人の名前をここまで貶めるのだろうか。よほどのDQNネームならともかく、〝かさね〟は普通の日本語だ。月日を重ねる・逢瀬を重ねるのように情緒のある使われ方をし、良い意味の言葉だと思う。

 (推測だが、〝かさね〟と名付ける親の心理には、「かさねとは八重撫子の名なるべし」という奥の細道の句も影響を与えているだろう)

 

 唐沢氏がこのツイートをした意図を考えるに、要は〝累ヶ淵〟の怪談さえ知らない親の無教養を引き合いにして、自分の教養をひけらかしたいのだとしか思えない。

 それにしても個人を特定してまで批判すべきことであろうか。幼少時代に名前のことで何度もからかわれた経験があるおれとしては、たやすく看過できない問題だ。

最後にもう一度言う。ある名前を「罪」だなどと呼ばわる心情がどうしても分からない。

 

 

 以下は余談。

「ふたつのスピカ」というテレビアニメを監督したことがある。原作に〝かさねちゃん〟という女の子がゲストキャラとして登場し、アニメでも同様に登場させた。とても不幸な少女で、原作者が〝累ヶ淵〟を念頭に置いて〝かさね〟と名付けたであろうことは想像がつく。

だがおれはいい名前だと思ったし、彼女を救いたかったので、シリーズ終盤で成長した〝かさねちゃん〟をもう一度出演させた(アニメオリジナルのエピソードとして)。

小学生時代が上の写真、成長した姿が下の写真。