島田満さんのこと | 日本語あれこれ研究室

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 昨年1215日に島田満さんが亡くなったことを、おれは年が明けてから「脚本家ニュース」(日本脚本家連盟の会報)で知ったのだった。

 

 初めて島田さんと会ったのがいつだったかは覚えていない。最初に島田さんの脚本でコンテを切ったのが「クリィミーマミ」の「Mr.ドリーム」の話だったことはよく覚えているが、その時点ではまだ面識がなかったはずだ。しかしその3~4年後に『めぞん一刻・完結篇』を監督した時には島田さんに脚本を依頼したわけだから、その間に知り合ったことになる。

 ブッちゃん(出渕裕)主催の食事会に何度か行ったので、そこで出逢った可能性が大きい気がする。

 

 その頃に、彼女の写真を一枚だけ撮ったことがある。めぞん一刻の打ち合わせで顔を合わせたときなどに、「あの時の写真くださいね」と2~3回言われた。それなのに焼き増しを怠ったりしているうちに渡す機会を逸してしまっていた。

こんなマヌケな話はありません。それ以来、彼女と顔を合わせるチャンスは20年以上なかったのだから。

 

 2012年になって、とあるテレビシリーズの監督をおれがやることになり、シリーズ構成が島田さんに決まった。久しぶりに会った島田さんは相変わらず綺麗な人だったな。

 顔合わせなどをするうちにあの写真のことを思い出し、一緒に数カ月間は仕事をするのだからその間に必ず渡そうと心に決めた。

 ところが、作業に入ってすぐに原作サイドとのかなり大きな意見の隔たりが発生し、島田さんはあっさりと作品を降りてしまった。おれはといえば、直後に相手方からクビになってしまったのだった。

 その段階でおれは各セクションとの打ち合わせなどを進めていたので、その分のギャラを請求した。しかし島田さんは、すでに第一話の脚本初稿を上げていたのに、それに対するギャラは要らないと言って受け取らなかったのである。

 

 おれなんかよりもずっと「男前」ではないか。自分の仕事へのプライドが高い人だったのだと思う。

 しかしまたもや写真は渡さず仕舞いになってしまった。でも人生は長いのだからチャンスはまだあるとも考えていた。本当にマヌケだ。

 ずっと渡せなかった写真をここに掲載して彼女に捧げます。冥福を祈ります。