堺市の一家の話・1 | 日本語あれこれ研究室

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 以下の文章は、昔(1990年)に雑誌「COMIC BOX」におれが投稿して掲載されたものだ。今となっては恥かしいほどの熱い内容である。しかもかなり長いので何回かに分けて転載する。この頃、手塚治虫作品にとっての一大危機があったのだ。それはすべて、大阪の堺市のある一家が原因であった。もはや忘れている人や知らない人もいると思うので、詳しくは読んでいただきたい。全文をここに載せた後で、多少の解説をしてみたいと考えています。

 雑誌に掲載されたときのタイトルは「手塚治虫を絶版にさせるな」というものだった。以下がその本文である。

 

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 絵本「ちびくろサンボ」を出していた各出版社が一斉に同書の絶版を決めたのは1988年の暮れのことだ。「黒人差別をなくす会」という団体の抗議活動がその直接のきっかけであった(以下「なくす会」と略す)。ちなみに同会は、他にもカルピスマークなどの黒人キャラクターを次々に使用中止へと追い込むことに成功している戦闘的な団体である。さて、この会の新たなる攻撃目標として、今度は手塚治虫の諸作品が選ばれたというのだ(週刊文春1025日号)。

 去る九月、手塚治虫の本を出版している各社および手塚プロダクションに、同会から手紙が届いた。手塚作品の「黒人差別箇所」を昨品名を挙げて指摘しその改善を求める内容だったそうで、回答の期限まで切ってあったとのことである。指摘された本は「ジャングル大帝」や「ブラック・ジャック」などかなりの数に上る。要するに、厚い唇と丸い目という戯画化された黒人がちょっとでも出演する箇所はすべて標的になっているわけだ。

 手塚治虫は既に故人なので当然、先日集英社のコミックスが行ったような描き直しは出来ない。出版社が「ちびくろサンボ」のときと同様に対応するとなれば、心配されるのは手塚作品が一斉に絶版になるかも知れないということであろう。

 私が疑問に思うのは、このように直接出版社等へ絶版を要求することが、抗議のあり方として果たして正しいのかどうかということである(注・「なくす会」に関する記事を読むと、同会は「ちびくろサンボ」のときも今回も、絶版にしろと言っているのではなく改善を求めているだけだという旨を再三コメントしている。しかし、現在も唯一発行されている〈子ども文庫の会〉版の「ちびくろサンボ」に対して、同書を取扱わないように取次や書店に申し入れるという陰湿なことも行っているそうであるから、同会の要求が絶版にあると断定してかまわないと私は考えている)。

 ある出版物について内容に疑義がある場合は、それに対する批判文を公にして議論を起すというのが正当なやり方ではないのだろうか。