少し前の話だが、ジブリの鈴木敏夫氏と久方ぶりに会った。十数年ぶりだと思う。
若い知り合い二人(週刊誌記者とアニメプロデューサー)と共に敏夫さんの仕事場を訪ね、敏夫さん自身の若いころの体験をいろいろ語ってもらった。
おれも一緒に話を聞いていて、敏夫さんの語り口調を懐かしみながら楽しんだ。若い二人も「これがカリスマプロデューサーか」と感心していたので、連れて行った甲斐があったし、有意義な時間だった。
鈴木敏夫氏と知り合ったのはこちらが大学でアニメサークルをやっていた頃で、演出家になってからもアニメージュの編集部を何度か訪ねたし、ジブリで一緒に仕事もしたという、浅からぬ縁である。
幾度もその、言葉巧みな体験談・昔語り・持論・人物批評などを聞く中で、「鈴木敏夫は優れた講談師である」という学説をおれは打ち樹てている。
ある出来事が、語り継がれる中で洗練され劇的になり結構が整っていくように、敏夫さんの歴史物語も〝聞かせる〟ものに育ち上がっていく。そんな彼の「講談」をテレビ番組などで聞いたことがある人も多いと思う。
ところで岩波書店から『ジブリと文学』という鈴木氏の著書が出ている。先日(図書館で)パラ見したところ、次のような記述があった(22ページ)。
《近くに宮崎駿がいる。これは、経験したもので無ければ分からない大きなプレッシャーだ。
随分昔の話だが、ある企画で若い監督を抜擢したが、彼は二週間足らずで十二指腸潰瘍になって入院した。》
これ、多分おれのことだと思うが、事実とは違っている。
おれが「海がきこえる」の監督として仕事に入ったのは8月からで、ジブリに毎日出社するようになったのが9月から。9月下旬からコンテに取り掛かって、十二指腸潰瘍で倒れたのは10月29日だった。
つまりジブリ社内で仕事を始めてから倒れるまで2カ月近くかかっている。あと、入院はしてない。自宅で3日だけ休んで、4日目からは通院しながら仕事に復帰した。
でも、こうして事実を書いてもそれほど面白くないよね。人に語るならば「二週間足らずで倒れて入院した」のほうが簡潔で面白い。つまりストーリーとして分かりやすくなる。
これがおれの言う、〝語り部〟鈴木敏夫による講談の一例である。
敏夫さんが昔おれに、例えばこんな話を聞かせてくれた。
「ナウシカのロマンアルバムが完成して宮さんに渡したとき、高畑さんのインタビューのある個所を読んだ宮さんが激怒し、涙を流しながらロマンアルバムをビリビリに引き裂いた」
これを、おれは文字通りには信じていないけれど、物語としては劇的であり、けっこう引き込まれて聞いてしまうのである。
※蛇足※
ジブリでおれは確かにプレッシャーを感じていたけれどそれは宮崎氏本人に対するものではなくて、実際のところは、「いつも宮崎・高畑両氏の作品だけを手掛けているアニメーター諸氏」に対してのプレッシャーだった気がする。