http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20080620_raiku/


 もちろん職業柄、雷句誠先生に関する一連のニュース(まとめサイト:http://syougakukan.blog19.fc2.com/ )はリアルタイムで読んでいたつもりだが、このインタビュー記事は、ひょんな事からニュースサイトのリンクを辿り辿って、今日初めて読んだ。原稿をなくす云々に関しては、何を言っても火種になってしまいそうなので発言を避けるが、この中にある「理想の編集者」という項は、「編集者」という一般には具体像を想像しづらい職業の一端についての非常に分かりやすい説明になっている。


 要は、編集者はマンガのストーリーを全て考えて漫画家に描かせる仕事でもなく、漫画家が描いてきた原稿をただ受け取って印刷所へ流すだけの仕事でもなく、漫画家と編集者の共同作業でマンガが出来ていくのだ、ということ。もちろんその線引きは、編集者個人のキャラクターによっても違うし、先生がどれだけ大物か、あるいは先生がどれだけ自分でストーリーを決めたくて、編集に口出しされたくないか、という漫画家個人のキャラクターによっても違う。編集がストーリーの9割を考える、という関係も確かに存在するにはする。ただ、雷句先生のこのコメントは、現場の俺が考える編集者像に近いのは確かだ。


 少しだけ補足するなら、編集は漫画家が考えたストーリー、切ってきたネームを、「これ面白いですよね?」と不安げに見せられた時、「うん、面白いですよ」と背中を押してやる、という仕事もする。特に連載作家で直しの時間も満足にとれない場合は、編集本人が100%そう思っていなくても、そう言うことが仕事を円滑にすることがあるし、逆に迷っている漫画家に太鼓判を押してあげることで、変にネームが迷走してとんでもないものに改悪されてしまうことを防ぐ、ということもある。


 この「OK」の出し方一つで先生がやる気を出してくれるなら安いものだが、逆に調子に乗せてしまうとあとあと面倒臭かったりすることも無いとは言えない。古い編集者像の一つとして「太鼓持ち」というのがあるが、ああなってしまうとお互いのために良くないのは確か。飴と鞭のバランス、などと言ってしまってはおこがましいが、時に頭を悩ます課題では、ある。

 ウチの雑誌で単行本一冊分の連載を終えた作家さんがいる。俺が担当し、俺が立ち上げた連載だった。個人的には才能のある人だと思っているし、その連載の話も俺と作家さんと二人で一生懸命考えて作った。単行本は予定通りに無事出たが、結果的にはその単行本の売り上げは商業的には決して成功とは言えないものだった。


 そんな時、編集者はその作家さんと、次回作を作ろうとする。自分は作家さんに才能があると思っているし、現時点でその才能が世に知られていないから売れないだけで、じっくり売り出していけばいつか花開くと思っている。


 だが、編集部はそうはいかない。一度商売として結果が出ている以上、明らかな勝算、付加価値が付け加えられていない限りは、その作家の新連載に、企業としてGOを出す理由がないのだ。


 それでも、「我が編集部ではあなたに価値を認めませんので次回作は作りません」などと、面と向かって言えるものか。俺の言葉一つに、まさにその作家さんの人生がかかっているというのに。


 現在、渾身の力をこめて二人で作った連載ネームが編集部を回っている。だが、正直なところ、上層部がこのネームを通さないことは、もう最初からほとんど(ネームの内容の良し悪しにかかわらず)決まってしまっている。まさに負け戦だ。そのことを、作家さんはまだ知らない。作家さんにしてみれば、この雑誌にはもう目はないと見て、ウチのための新作ネームなどに時間を割かずに、さっさと新しい雑誌にでも持ち込むべきだろう。だけど、それを手放しに勧められるほど、俺は冷酷にはなれない。そのことが、結果的に先生にマイナスにしかならないのだとしても。


 俺はまだ、甘ちゃんだ。

 うちの雑誌で何度目かの読切を描いてくれた先生と打ち上げ兼、次回作の打ち合わせに行ってきた。ちなみにまたしても焼肉。俺の趣味。とりあえずまだ同じ原作者の原作でやろう、というのは決めてあるのだが、いかんせん掲載ペースが不定期でどうにも。いっそのこと連載にしてくれればこちらも先生も本腰が入れられるのに。(ちなみにその先生はまだ連載を持ったことはない若手)


 とかなんとか思っているところへ、先生が言い出しにくそうに、「言わなければいけないことがあるんですが」「いや、でもこれは言わない方がいいのかなぁ」「うーん」だって。俺はてっきり、気付かない内に何か先生に対して粗相でもしてしまったんじゃないかとぎくっとした。作家さんって、何が地雷か分からない時があってホントに困る時がある。「僕が何かしましたか?」と心当たりを必死で探る俺に、「いや、そうじゃないんですけど」と先生。


 結局用件はタイトルに書いた通り、ウチで読切のネームを作って原稿を上げるサイクルの中での空いた時間に、声がかかった他の編集部でも描こうと思っている、ということ。まぁ正味の話、まだ画力もネーム力も発展途上で、他誌で場数を踏むことで(それは絵を一枚でも多く描く、ということでもあるし、色んな編集と一緒に一本でも多くの物語を作り上げる、ということでもある)、成長してくれるならそれもありがたい。


 それに正直、ウチで不定期に読切をやるだけでは食っていけているはずもない。新人並の原稿料しか払えていないんだから。それなら漫画以外のことでバイトなどして食いつないでもらうより、こちらとしてもよほど気が楽になるというものだ。まぁ、正直この先生とはそういった生臭いお金の話はしたことがないのだけれど。というか、先生の側から振ってこない限り、まぁ基本的に金の話はしたくない。もしかしたらもっとちゃんと聞いてあげるのも編集の仕事だ、という主義の人間もいるかもしれないが、俺は過干渉は避けたいし、俺が作家なら避けてもらいたいと思う。


 ちなみに声がかかっているということは、他誌の編集がウチに載った作品を読んで、この作家は才能がある、と思ってくれたということだ(具体的には、たぶん先生が持ってるHPからメールをしたんだろう。俺も最初はそうだった)。で、聞いてみるとどうやら、そちらの雑誌ではネームの出来いかんによっては、読切ではなく連載させてもらえるかもしれない、とのこと。さすがにそうなってしまっては、俺がウチの編集部に怒られてしまいそうな気はするが、このままウチの雑誌で散発的に読切だけ描いて飼い殺しにされるより、自分が惚れ込んで口説いた才能が、舞台はどうあれ花開いてくれるというのは、一つの喜びではある。


 万が一そうなってしまったら、あとはこの先生が、俺との今までの仕事に恩を感じていてくれて、他誌においてある程度の実績と研鑽を積んだ後、ウチの雑誌に恩返しに戻ってきてくれる、という未来に期待することになる。それだけの仕事をしている自信は、実はあったりもするのだ。

 俺が連載を担当している先生は仕事が速い。原作小説がある漫画をやっているので、次の〆切の回のさらに一つ先までネームが出来ていることが多い。そうなると、次々号のページ数については基本的にウチの雑誌の長編のデフォルトのページ数で見切り発車でやらざるをえない。要は19ページが基本の連載なら、次の雑誌の台割(ページ割)が決まる前から、次もその次も19ページだと思って作業を先に進めているわけだ。アシスタントを入れるにしても、いっぺんに進めている原稿が多い方が頼める仕事がいっぺんにあるから、無駄にアシの手が止まることがなくて効率が良い、ということもあって、〆切に余裕がある場合には次号の原稿を仕上げる前に次々号の下描きを進めてしまうこともよくある。


 そんな状況で、「次号で読切載せた分のページが次々号で余るから」なんていう行き当たりばったりの理由でいきなりページ数を3ページも増やされたって困るわけだ。


 台割ができた時点でページ数を確認して愕然として、速攻で先生に電話。すると、もう半分以上下描きができてしまってるという。当然電話口からは「え゛~っ!」という返事。そこは先生も場数は踏んでいるから、不満こそ見せるものの対応はしてくれる。むしろここで俺にだけは気兼ねなく不満を口にしてくれるというのは、考えようによってはある程度作家さんとの信頼関係が築けていると言うこともできる。


 ただ、よりによって、この回は前回と次回のつなぎで、どうやってページ数を埋めようかと打ち合わせの段階ですでに2人で悩んでいた回だったりする。そこを3ページ増やせと言われましても。そこで「どこの部分でコマをもう少し多く取って丁寧に見せよう」だとか、「原作ではもう少し後に出てくるエピソードをここで出してしまおう」だとか、対応策をきちんと提案するのも編集の役目。なんとか電話で軽く打ち合わせをして方向性を決める。あとは一晩寝かせてお互いに考えて、もう一度改めて意見をすり合わせようということに。


 ちなみにこういう電話、編集部の電話ではできない。なぜなら、台割を決める担当の副編が同じ編集部に座っているから、先生に向かって「すみません、ウチの台割担当が空気読めなくて!」と、俺じゃなくてあくまで編集部に悪いヤツがいる、という論調で言って聞かせることで先生のご機嫌をなるべく損ねないようにし、怒りの矛先を俺から別の人間に逸らすことによって今後の仕事に支障が出ないようにする、という常套手段を取らねばならないからだ。となると、ウチの場合編集部を出て、暖房の効いていない非常階段で自分の携帯で話すことになる。当然、用件だけ伝えて30秒で「じゃ!」という電話にはならないので、10分とか20分とかの電話代を自腹、ということは日常茶飯事。申請すれば会社から仕事専用携帯も借りられたりするのかもしれないが、めんどくさくて誰もそんなことしていない。いったい今まで、こんなくだらない理由での自腹金額はいくらになっていることやら。

 完成した原稿は、作家さんが手書きで入れてきた台詞に対し、編集がネーム指定(書体や文字サイズの指定)をして、必要ならば適宜、ひらがなをカタカナにしたり、漢字にしたり、読みやすく、カッコ悪くない形に書き替えてから、副編集長、編集長、と回してチェックしてもらい、印刷所に入る。


 このネーム指定の段階で、たとえば「なに」とか「たち」とか「こと」とか「できる」とか、漢字にしたりひらがなにしたりが揺れやすい言葉を、出来る限り統一しておく。読者が読みながら「揺れてるな」と気付いてしまったら、物語本編に集中できなくなってしまうのを防ぐため、ということだろう。単純に、統一はとれていた方が見栄えはいい。それは分かる。


 別な話で、アオリ柱というものがある。漫画の最初と最後に漫画のコマ枠外に(全面に絵がある場合は絵の中にも)入る、編集が考えるその漫画のアオリ文句だ。読者の期待を盛り上げるように書いたり、前号までの簡単な状況を説明したり、ギャグなら細かい作者の遊びにツッコミを入れたりしている。ちなみにこの柱は(特に枠外にはめ込む時には)文字数が決まっているから、15文字なら15文字、33字なら33字で、無理やり当てはまる言葉を考える。このアオリ柱、漫画本編のネーム指定が終わって最後に考えるから、ついつい勢いで文字統一がおろそかになる。本編で「事」が漢字なのに柱では「こと」と開いてたりとか。


 で、これを見逃さない人間が上に一人いるわけだ。今回は、「達」が本編ではひらがな、柱では漢字だった。これを開くとその分、一文字増えるからどこかを代わりに減らさなきゃいけない。ここで上の人が、俺に無断で勝手にアオリの語尾を変えてくれやがった。おかげで俺が書いたアオリとニュアンスが微妙に違ってきやがったり。


 いや、その微妙なニュアンスだってどうでもいいっちゃいいんだろうが、「達」の統一なんてもっともっとどうだっていい。漫画編集者が考えなきゃいけないことって、もっとレベルの高いことなんじゃないのか。作家さんが描いてくれた玉稿を、その魅力を最大限に読者に伝えるために周囲の環境を調えてあげることが編集の仕事なんじゃないのか。せめて直す時に一言相談してくれたら、俺が違うトコで一文字くらい削ってやったのになぁ。あ~あ。

 雑誌の厚さや部数にもよるのだろうが、うちの雑誌の〆切は一日ではない。初日に半分、二日目にもう半分を入れるとか、3日あるなら2割6割2割で入れるとか。それは知ってる作家さんは知っていて、ギリギリの先生の場合は20ページのうちの12ページだけ初日に入れるとか、4ページと16ページで分けるとかもする。ホントにギリギリのタイミングでそれを言い出しても対応できないから、遅れそうな場合には先回りして正直にお願いしたりもする。


 その2日間の校了が週末をまたぐと、金曜と月曜、という事態も起きてしまう。金曜に8ページだけ入れたら、残りの12ページを上げるのにまたあと72時間もの猶予ができるわけだ。逆に言うと、20ページ全部を月曜のつもりでのんびりやられたらまたさらに遅れるかもしれないものが、8ページだけでも焦って週内に上げてもらうことで、結果的に残り12ページに余裕が生まれることにもなるわけだ。


 で、それに慣れてきた作家さんに対して、編集はさらに、本当は月曜火曜〆切の原稿に対して、金曜月曜だと嘘をつくことが、実はある。そうすると、しっかり金曜に一部を上げてもらうことによって、残りも月曜に確実に上げてもらうことができる。先生には申し訳ないのだけれど、月曜と火曜で24時間差で分けてもらうよりは、最終〆切が一日早まるとしても、結果的には確実に受け取れる可能性が高まる。あるいは、月曜予定の原稿が火曜の早朝くらいまでずれ込んだとしても、実際には火曜いっぱいまで〆切はあるわけだから、安心して作業も出来る。


 ただし。これをしてしまうと、キツいスケジュールを押して金曜に原稿の半分を上げてもらおうとした場合、実際は月曜〆切だから金曜に深夜まで居残る必要はないのに、無理に上げてもらうために金曜の終電が終わってもまだ原稿を待たなければいけなくなることがある。嘘をつくことのリスク、とこれを称してしまっては、嘘をつかれていることを知らずに必死で〆切に間に合わせようとしてくれている先生方に失礼なのだろうけれど。


 ああ、明日何時まで待たされるんだろうなぁ。

 ウチの雑誌の新人賞でちょっといい賞を受賞して、今度その作品でデビューする新人がいる。編集部や選考委員の漫画家さんの意見を元に原稿をもう一度手直ししてもらったんだが、それが完成したので今夜はその打ち上げ兼、次の作品の打ち合わせということで、二人で焼肉を食いに行った。


 原稿の手直しといっても「ホワイトかけて線を微修正~♪」みたいなちょこまかとした直しじゃない。作家さんが原稿を描く前に自分で描いていたネームに戻って、展開的に盛り上がりの足りないところでシーンや台詞やコマを足したり、逆に無駄なところをカットしたり、といった大手術。もちろん応募原稿をそのまま使えるところもあるんだが、大半のページはどこか1コマ以上は描き直し。1ページ丸々描き直しの箇所もちらほら。コマ組みが変わるところは完成原稿をカッターで切って、描き足した原稿用紙に貼り付けたりと、物理的にも「大手術」といった感じの作業をしてもらった。人様に金を払って見てもらう以上、それは必要な努力ではある。とは思う。


 ただ、あくまでも載るものは「受賞作」であり、それへの対価は新人賞の賞金として既に払っている、という名目のため、今回のこの作家さんの作業に対して、編集部からは一銭も払われない。さすがにこれは申し訳ないと、今夜は奮発してちょっといい焼き肉屋で、一人頭1万円分食ってやった。この経費は「漫画家との打ち合わせ代」という編集費として会社の金で全額落ちる。ちなみに関係ない俺も食ってるのはなにげに役得。まぁ新人さんには喜んでもらえたようなのでよかった。


 ちなみに、相手によっては値段がバレないように隠れてこっそりお勘定、というのが社会人的には常識なのかもしれないが、今日はあえて新人さんの前で金を払う。「これだけの金を使ってあげられるくらい、編集部は貴方に期待しているのですよ」という無言のメッセージ。伝わってくれるといいが。ああ、腹一杯。

 ちょっと前に回したとある連載企画ネーム。副編集長は「是非やりたい」と言ってくれた企画。だったのだが、今日ようやっと編集長から話があって(というか俺からつついて聞き出したんだが)、この企画はボツ、もっと売れそうなメジャーな企画を持ってこい、とのこと。いや、そのこと自体はよくあることだし、言いたいことも分かるから、編集長に対しては異論はない。


 ただ、「良い企画だ」と俺に対しては言ってくれた副編集長が、編集長が俺にダメ出しをしていると分かるや、途端に援護射撃でこの企画の悪いところを俺に向かって指摘し始める。要は、編集長と意見を対立させてまでやりたい企画でもないし、それなら上司のご機嫌を損ねない方が何かと得だと踏んだわけだ。


 漫画を作る仕事って、そういうことじゃないと思うんだがなぁ。ま、編集者は芸術家ではなく、あくまでイチサラリーマンなのは百も承知だが。

 原稿を印刷所に入れたからって、それで雑誌作りの仕事は終わりではない。カラーの場合は色校が出てくるし、1色本文の場合は青焼きが出てくる。要するに、見本刷りが出てきて、そのチェックが完了して初めて、こちらの作業は終わるのだ。しかも、この時点でも結構、原稿の絵柄の汚れだの誤字だのが出てくるから困りもの。そこに赤を入れて印刷所に戻して、ようやく作業完了となる。


 で、その本文の青焼き校了のためには、要するに印刷所がハンコを作って試し刷りする時間を待たなければいけないわけで、原稿を印刷所に下ろしてから数時間はかかる。だがその間、こちらの入稿作業は全部終わってやることがない。たいがい〆切の日の夕方には原稿は入るから、夕飯時には突然暇になるのだ。とはいえ原稿が押して受け取りが夜になる可能性だってあったわけだから、〆切の日の夜に別件の打ち合わせなどは入れられない。


 この時間に、大概は編集部の青焼き担当の人間+暇な人間たちで、会社の近所に夕食がてら飲みに行く。酒を呑んで校了なんて出来るのか、という声も聞こえてきそうだが、よっぽど泥酔しなければ、出来る。自分の経験からもそれは断言出来る。校了とは要するに間違い探しであって、そういう意味では意外に単純な○か×かの判断は酒では鈍らないものだ。酔っ払いだからといって、赤信号が「進め」だとは思わないのと一緒。ただ、赤は「止まれ」だと分かっていても、「車が来ないから行っちゃえ」となる傾向は無くもないが。


 それにつけても、この校了が長い。当然何百ページとあるのを印刷所も逐一チェックしながら作業しているわけで、入れて30分で出してこいとは言えないわけだが、結局最初の青焼きが22時や23時に出始め(青焼きは基本、32ページ単位か16ページ単位でバラバラに出てくる)、最後の青焼きが出るのが午前3時4時になったりする。たぶん印刷所も最初から泊まり勤務だと思って時間調整してるんじゃないかと勘ぐってしまうくらい、最終原稿を夕方の5時に入れようが24時ギリギリに入れようが、ケツの時間のブレは少ない。正直なところ、基本的に酒を呑んでる人間が朝の4時まで起きてるというのは苦痛以外の何物でもない。結局、全ての青焼きを校了し終えた編集者たちは、もう1時間待てば始発も出るのに、待ちきれずに会社の経費で午前4時のタクシーに乗って帰っていくわけだ。

 2~3ヶ月くらい前に取った、大好きな某アーティストのライブチケットがあるんだが、時期が迫ってきてみたら、不運なことなんと校了の一日前だった。常識的に考えれば、仕事を優先してライブは諦め、ヤフオクなりで売ってしまうというのが正しい選択だろう。実際、仕事の関係で行けなくなったので出品します、なんて文言はヤフオクにも多い。


 だがしかし。ここで自分なりに仕事のやりくりが出来れば、つまり、〆切までに原稿を印刷所に入れて無事に本が出来るのであれば、仕事を抜け出してライブを見に行ってから帰ってくる、という荒技も出来てしまうのが、編集者という仕事。もちろん、先生にバレて「俺が必死で〆切に間に合わせた原稿をほっぽらかして遊びに行ってやがるのか」となるのはマズいし、同僚の編集者や上司にバレるのもマズい。まぁこっちは自分の仕事をこなした上でなら怒られることはないかもしれないが、やっぱり気まずい。だが「作家と打ち合わせをしている」という名目で編集部を出れば、出先で何をしているかを他人が知る術はないわけで。


 ということで、明日入れなきゃいけない先生の原稿を取りに行って、そのまま原稿をカバンに入れてライブ会場へ。本当は原稿の上がり時間がもう少し早ければ、安全のために一度編集部に戻って原稿を置いてから行きたかったんだが(逆に原稿上がりが夜になるならライブ後に取りに行ったんだが)、先生が埼玉、編集部が都内、ライブ会場は神奈川と、移動だけで相当な時間がかかるので結局直行せざるをえなくなってしまった。さすがに怖かったので、カバンは最寄り駅のロッカーに預けて、いざライブ。


 ライブ自体は存分に楽しんで、気付けば21時前。ここから1時間強かけて編集部に戻って22時。そこから校了の準備だのネーム指定だの、あるいは今度出る単行本の青焼きチェックだのと、溜まっていた仕事をこなしていけば、いつの間にか29時半。もう30分時間を潰して、最後は始発で帰宅した。結局のところ今日の実働時間は都合9時間ほど。これで辻褄が合ってしまえば、また明日からはいつも通りの仕事に戻る。編集という仕事の特殊さが、こういう時には割とありがたい。